セミリタイアしたサラリーマン投資家
2017年7月に資産500万円でセミリタイアして、海外と日本のデュアルライフを目指します。
現在ネット収入は5000円。働かなくても良い、新しい生活スタイルを実現したい。

仕事を辞めてから5ヶ月、サラリーマンに戻る道はあるのか?

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パリのセーヌ川
  

働かない生活を送るようになってから5ヶ月が経ちました。

 

サラリーマンで働いていた時と、サラリーマンを辞めてからの大きな違いは、自分と向き合う時間があるかないかだと思います。

 

仕事を辞めたことで精神的に不安定になり辛いと思うことはたくさんあります。けれど、冷静にサラリーマン時代のこと、仕事を辞めてからの5ヶ月間を振り返ってみた結果、サラリーマンに戻るという選択肢は今のところありません。

→  会社を辞めて海外を3ヶ月旅してみて思ったことは「もっと働きたい」

サラリーマンを辞めてから

サラリーマンは自分自身と向き合う時間すら持てないほど毎日忙しく働きます。

 

一般的な会社員の生活は、朝起きたら会社に行く準備を始める、電車に乗り込み会社に向かう、メールやスケジュールをチェックする、会議や自分の作業に追われる、ようやく会社を出るのが夜の8時、家に着き食事を取り、あとは寝る時間までテレビやネットサーフィン、ゲームをして過ごす。週末は気分転換やストレス発散のために職場以外の友人と出掛ける、という生活を送っていると思います。

 

仕事を辞めてからだと、朝起きたときから自分との対話が始まります。

 

仕事を辞めた当初は、これからの海外生活を思い描き楽しみにしていましたが、そんな感情は数ヶ月も経つとなくなります。

 

気がついたら精神的に不安定になっている自分がいました。これは、サラリーマンを辞めたことを後悔している自分がいるのかなと最初は思っていました。

 

しかし、自分の過去を見つめ直し深いところで会話をすると、やはりサラリーマンに戻る道はないなという結論に辿り着きました。今はどうやってネットビジネスで生計を立てて行くかということを真剣に考えています。

 

なぜサラリーマンはダメなのか?

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サラリーマン、フリーランス、アルバイト、自営業と働き方は様々ありますが、どれが正解かという訳ではありません、個人のライフスタイルにあった働き方があります。 

  

サラリーマンにもメリットはたくさんありますが、それでも自分が思うのは時間を切り売りする仕事は将来的に見て未来がないということです。理想をいうと、サラリーマンの仕事をサイドビジネスのような感覚で働ければ一番良いですが、これは誰にでもできるわけではありません。拘束時間が長く忙しい職場で働けば自分のために使える時間はなくなってしまいます。

 

忙しい仕事に追われながら、副業でお金を稼ぐというのは並大抵のことではありません。

 

また、これから先の日本の将来のことを考えると、超高齢化社会で社会保障などの税負担は増し、一方で日本経済は成長せず活発に消費を促す生産年齢(15歳以上65歳未満)の人口は顕著に減っていきます。

 

総人口のうち、生産年齢人口に限ると1996年から減少に転じていました。90年代前半には8700万人だった生産年齢人口は、2016年には7600万人と、約20年で1割強減っています。

今後はさらに減少テンポが速まります。社会保障・人口問題研究所の推計では、出生率・死亡率などに大きな変化がなければ、20年後(2036年)の生産年齢人口は6200万人、2050年ごろには5000万人を割り込むと見込まれています。 

総人口に占める割合は現在の60%から56%、51.5%に低下します。今年新卒で入社した世代が役員になるころには、人口の半分しか働き手がいない社会になるのです。

生産年齢人口とは?定義や減少の推移(日本VS海外)、労働に及ぼす影響を解説 | BizHint HR(人事の悩みにヒントを届けるニュースサイト)

 

比較的収入が安定しているサラリーマン層は税負担を最も受けやすい層でもあります。

 

現時点で本業以外で収入源がない人はもう少し焦った方がいいのではないかと思います。 ネットの世界に生きていると、株式投資なり、ネットビジネスなり成果を出している人はたくさんいますが、身近な現実世界を見渡した時に自分の同僚は100%の力を本業だけに回す人がたくさんいました。

 

たとえ少額でも自分でお金を稼げる力というのは、これから生きていく上で必須のスキルになります。

 

→ サラリーマンが仕事を辞めて自由に生きていくために必要な5つの方法

 

サラリーマンに戻る選択肢は? 

精神的に弱っているときに、やはりサラリーマンを辞めたことは失敗だったのか?と思ったことは何度かあります。海外生活を3ヶ月もしていると孤独に感じる時間は増えます。

 

人は過去のことを美化してしまう生き物です。散々辛いことがあって別れた相手でも、ひとりで過ごす時間が増え時が経てば良い思い出のように語られます。しかし、再び元の関係に戻ってもうまくいかない事の方が多いのではないでしょうか。孤独が精神的に人を弱くさせてしまうからです。

 

副業でお金が全く稼げない状態で仕事を辞めたので、衝動的に辞めたと思われることは多いですが、自分なりに深く考えて出した答えです。このまま、サラリーマンとして生きても未来がないと思ったからです。

 

年齢を重ねるごとに保守的になる自分にも嫌気がさしていたのもあります。このまま歳を取れば、もう会社を辞められる機会は一生訪れないだろうなと思いました。

 

このときは彼女の存在が大きかったかもしれませんが。

→ 今年の夏でサラリーマンを辞めます。資産は500万円、副収入は1万円以下、フランス人の彼女に養ってもらうことにした

 

なぜ辞めたのか?

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1番の理由は自分の人生がすべて仕事に左右されていたからです。また、先輩社員や40代、50代の社員を見てエンジニアは生涯続けられる仕事ではないと思っていたからです。

 

IT業界の仕事といってもピンからキリまであるので一概には言えないですが、基本的にエンジニアの仕事はお客様の納期が第一優先です。納期に間に合わないようであれば、サービス残業するし、週末に休日出勤してでもスケジュールを死守する必要があります。もちろん、そうならないように調整もするし、遅れそうになったらリスクヘッジもします。それでも、最終的に割りを食わされるのは、やはり立場が弱い労働者です。

 

スケジュールがない仕事の方が少ないかもしれませんが、常にスケジュールと向き合うというのは辛いことです。

 

若手の頃は自分の作業が遅れたら自分の作業の遅れを取り戻すことだけに集中しますが、ある程度中堅になると自分だけではなく若手のアウトプットにも責任を持つようになります。

 

しかも、現代のシステム開発の現場は複雑で若手が同じ職場にいるとは限りません。一方は日本にいるけれど、もう一方はインドにいて、もう一方はまた別の国にいます。顔も合わせたことがない、画面や音声上でしか会話したことがない外国人と一緒に仕事をすることになります。

 

朝出社したら期待していたことができていない、伝えたいことがあるけれど時差が違うので会社にいない、連絡しても返ってこないと思ったら席を外している、そんなことは日常茶飯事です。

 

また、自分の作業に集中する時間が持てればいいですが、ポジションが上がると会議に参加する時間も増えます。お客さんが参加する会議は長いものだと2時間を超えます、それ以外でも社内の進捗を確認する会議もあります。実作業がない大手社員はいつも会議を開きたがります、そして会議に参加するメンバーはいつも無駄に多いです。

 

1日の作業時間は8時間しかないのに、会議に参加、外国人スタッフのアウトプットの確認、仕様書の確認、自分の作業のアウトプット、真面目に働けば働くほど家に帰れないのがこの世界の特徴です。適度に踏ん切りを付いて終わらなくても帰る勇気が必要があります。

 

自分は中堅エンジニアというポジションで開発をまとめる側にいましたが、もうひとつ上のマネージャーのポジションになるとさらに忙しさは増します。なんだかんだ責任を負わない自分のポジションはまだ楽な方でした。

 

マネージャー職になると、お客さんと常時スケジュールのやり取りをし、プロジェクトに全責任を持ち、プロジェクトを複数抱え、新規の案件獲得のために資料作り、事業部の売り上げにも責任を持ち、新しく入社した若手スタッフや外国人にも仕事を振らなければいけません。

 

これだけ仕事をしていると本当に時間はないので、毎日ではないが日付が変わる頃まで仕事をします。都内にいると最悪終電で帰れますが、地方だとクルマ通勤なので終電以降も仕事をする人がいます。週末出勤することも多いし、休みの日も仕事をチェックしているのかメールが飛んでいる時があります。

 

翌日や週末明けに深夜に飛んでいるメールを見ると心底うんざりします。

 

マネージャークラスの社員は自分より年齢が10歳程上で奥さんや子供がいるが、子供が寝る時間より先に家に帰ることはありません。飲み会の時に笑い話や武勇伝のように語りますが聞いている方としては、苦笑いしかありません。

 

若手社員はそこまで忙しくないはずですが、上の人が遅くまで働くので自然と帰る時間が遅くなります。残業代がつかないが慢性的に残業している職場だったので、周りを見計らいつつ帰るのが早い人で8時頃から徐々に席を立ち始めます。

 

自分の場合、生涯続ける仕事ではないと思っていたので忙しくないときは定時に帰宅していました。それでも、プロジェクトが稼働しているとどうしても遅くなる日はあります。その度にストレスを溜めていました。

 

転職はしないのか?

何度か転職しようと思った時もありますが、結局しないままこの会社で働き続けました。

 

なぜかというと、客観的に自分が務めている企業は中小企業の中では上位だと思っていました。年間賞与もトータルで140万円程度ありました。20代で3社渡り歩いたこともあり、これよりも条件が悪い会社は腐る程あります。基本的に人月単位で人を動かしているIT業界は大半がブラックです。

 

自分が務めていた企業は地方にありますが、顧客は世界中に製品を販売し儲けている大手メーカーが多く一次請けの受託開発です。IT業界のSIerは下請け構造で成り立っているので何次請けかによって、その企業のランクがわかります。

 

東京で100名程度の中小企業だと、大半が三次、四次請けです。東京の高い家賃や人件費では利益が出ないので受託開発はやりたくてもできません。

 

規模の小さい中小企業にも関わらず受託開発、さらにメーカーから一次請け、開発拠点が海外に複数あり、設計から製造、評価まで一貫して請け負っている企業は客観的に見て決して多くはありません。

 

SIer業界の中ではそれなり良いポジンションにいたので、同じような業界に行くのであれば転職する理由はありませんでした。また、年収は毎年40万円ほど順調に上がります。

 

少し違う業界に行くとすれば、Web系とか社内エンジニアというポジションがあります。Web系は競争が激しい分野で、独自サービスが世に出るほど儲けていれば良いですが、そうでなければ大半が単価80万円を超えることはありません。また、サービスや製品に人気があるうちはいいですが、移り変わりが早い世界です、需要がなくなれば一気に落ち目になります。何でも適度にこなすSIerとは逆のベクトルで、狭い領域で深い知識が求められる世界です。

 

サラリーマンエンジニアとして生きるのであれば、現状維持が一番無難でした。

 

サラリーマンを辞める最後の年の年収は500万円を少し超えたあたりです。中小企業に勤め自分の年齢でこれくらい稼げたら十分だと思っていました。むしろ、これ以上プレッシャーを与えられたくないので、給料を上げなくて良いと思っていたくらいです。

 

給料を上げる努力をするよりも、ひとりでも稼げる副業に力を入れた方が健康的な生活が送れると思っていました。

 

→  かつての米国のIT企業と違って、日本のIT企業に多重派遣や多重下請け構造の問題がなくならないと思う理由

 

→ 業務系SEはフリーランスエンジニアに移行する準備をした方がいいと思う理由

 

仕事に情熱が持てない

いつからかは明確にわからないが、この仕事に向ける情熱がなくなっている自分がいました。昔は新しい技術を習得することも、ひとつずつ仕事を覚えることも、英語力を付けることも楽しかったです。

 

おそらく、やる気がなくなってきたのは、海外で2年間働きその後日本に帰国してからかもしれません。この辺りから仕事に対する熱意が冷めていったようにも感じます。その反面、給料は右肩上がりに増えていったのですが。

 

昔からそこまで技術に興味があったわけではなく、会社に依存しなくても生きていける力を付けることにモチベーションがあったのだと思います。だからこそ、どこに行っても食べていけるだろうと思っていた、ITと英語を必死に勉強していたのかもしれません。

 

今となっては、仕事のためだけなら英語はそれほど重要ではなかったと思っています。

→ 【留学で失敗しないために】なぜ留学生の8割は学んだ英語を使って仕事ができないのか?

 

英語はそれなりに時間を使って取り組んできました。

→ なぜ社会人は英語が習得できずに挫折してしまうのか?

 

サラリーマンエンジニアの延長線上には自分がやりたい事の答えがないことに、気がついたのだと思います。自分が求めていた道とは違ったと思いながらも、順調に増えて行く年収や貯金を見て身動きが取れなくなっている自分がいました。 

 

熱意を失ってからの1年間

特に会社勤めをしていた最後の1年間はかなり辛かったです。副業を始めるようになり、仕事に対するモチベーションが完全に失せました。

 

中小企業のIT企業のエンジニアの場合、開発案件に応じた専門部隊があるわけではないので、お客様の要望に合わせて何でもやります。Webシステムやデスクトップアプリを作るし、iPhoneやアンドロイドのアプリを作ることもあるし、ハードに搭載する組み込み系もやります。

 

プログラミング以外でも、設計もあれば、資料作成、検証するためのモックアプリを作ったり、開発工程があり、評価も一貫して行います。

 

広く浅く何でもできる人材が求められます。言い方を変えれば本物の専門職ではなくても周っていく世界です。

 

ひとつのプロジェクトが終われば、休む暇もなく次のプロジェクトに入ります。基本的に自分で仕事を受注できるマネージャー以外は、プロジェクトを選択できる権利はありません。

 

3年間Web系の規模が大きい案件が終わった後に、次の業務がスマホアプリの開発の時には心底嫌になりました。

 

規模が大きい案件の場合外国人スタッフを大量に使うので、日本人スタッフは調整役に回ります。自分でコードを実装するケースは多くありません。しかし、スマホアプリは規模が小さいので自分が実装者としては参加しなければなりません。このとき、自分は30歳でしたが、他の開発メンバーは40歳前後でどっと疲れました。SIer業界は長い間人気がない職種なので平均年齢が上がっています。言い方は悪いですが今更、下っ端の仕事なんてやりたくはありません。

 

4年前にスマホを作るプロジェクトにいたけれど、この世界は4年も経てば技術は大きく変わっています。昔習得した技術を思い出すのも大変ですが、さらに新しい知識をアップデートしなくてはなりません。つまり、不確定要素が大量にあるという事です。

 

20代でモチベーションが高いときは、難しい技術や案件に挑戦したいと思っていましたが、そうでないと苦痛しかありません。自分ができる分野の仕事だけを請けてそれだけ飯を食いたいのが本音です。

 

こういう考えがある時点でエンジニアとして生計を立てて行くことは難しいです。

 

中小企業は大手企業とは違い、実作業ができなくなれば社内に居場所はありません。たまに、40〜50代で何をしているのかわからないおじさん社員がいますが、やはり定年前には居ずらそうに消えて生きます。

 

最近の生活は?

こういう経緯があったからこそエンジニアの仕事を辞めたのですが、精神的に追い込まれた時にサラリーマン時代は良かったと思う自分がいることに驚きます。

 

冷静に辞めた理由を振り返って見ると、あの頃が良かったとは到底思えません。

 

可能性として、給料が少なくても自由度が高い仕事であれば戻る可能性はあると思いますが現時点では考えてはいません。それよりも、今はどうやって最低限の生活費を稼げるかということに頭がいっぱいです。

 

今は収入がほとんどない状態ですが、順調に作業できているときは精神が安定しています。結局、海外を3ヶ月旅して一番ストレスを感じたことは、集中して作業できる環境が手に入らなかったことです。

 

朝起きて仕事を始める、集中力が切れたらジムに行って身体を動かす、夜はビジネスに関する書籍を読んでインプットする時間を確保する。集中力が切れないときは夜まで作業を続ける、この環境が今の自分が最も欲しかったものだとわかりました。

 

収入がないにも関わらず仕事を辞めるという選択肢を取る人は非常に少ないが、自分の資産のために労働するということは特別な感情があります。特に自分のように、会社の仕事をひたすらこなしてきたような人間からすると。

 

正直なところ、最低限食べていけるだけの収入があれば充分で、仕事で猛烈に働くよりも自分らしく生きたいと思っている人の方が多いのではないでしょうか。結婚、老後、友人関係、色々な事を考えたらそういうわけにはいかないのでしょうが。

 

ただ、実際のところ食べていけるだけの収入をインターネットだけで稼ぐのは思ったよりも難しくないという事です。それくらい個人でも稼ぎやすい時代に移行しているし、今後もその流れは強くなります。もちろん、Web業界もバブルに近い状態ですが、しっかりと勉強して知識を身に付ければ、生き残っていくのは難しくないと思います。

 

理想を言えば本業以外でも複数収入があり、自分の時間も確保できることが一番です。しかし、そういう人は全体でどれくらいいるでしょうか?

 

少なくとも今の自分にはサラリーマンに戻ることが最適解ではありません。

→ サラリーマンが仕事を辞めて自由に生きていくために必要な5つの方法

 

ようやくアドセンスに合格し今が一番モチベーションが高いかもしれません。

→ ブログ開設から1年5ヶ月後に「Googleアドセンス」に合格、過去のネットビジネスの振り返り 

ブログ開設から1年5ヶ月後に「Googleアドセンス」に合格、過去のネットビジネスの振り返り

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ブログの開設を始めたのが、2016年の6月くらい。そこから、グーグルアドセンスを申し込み、1年5ヶ月ほど経ってようやく審査に合格できました。

 

1次審査にパスするので3ヶ月程度、2次審査で1年以上掛かった事になります。

 

審査の基準は正直よくわかりません、理由や対策を考えるだけ無駄だと思います。

 

根拠はないですが自分なりの考えを述べると、写真や外部リンク、他の広告や紹介がありアクセス数がないとダメと言う意見もありますが、100%関係ないと思います。アドセンス収益のキャパシティがあって空きがあるかないかが重要です。空きがあるときはグーグルの基準で順番に審査していき、「空きが無ければ審査のテーブルに乗らない」と言うだけです。

 

グーグルが利用者に払える限られた広告費を参加者が分け合う事になるので、あまり数が増えすぎるとひとりひとりの利益が縮小します。収益が減り魅力的なサービスではなくなるのを避けるために制限しているだけで、ブログの質は重要ではないです。

 

なので、審査に合格しない人も気にせず運営を続けるのが良いと思います。

2次審査に合格するまでの経緯

自分の場合、ひとつ目のブログで数ヶ月掛けても合格できなかった時に、コンサルタントや他のWebサイトの情報でもあるように審査用にブログを新しく作成しました。ひとつ目のブログでは、外部リンクや画像、他の広告を貼り付けていたので、何が悪いのか調査するのが面倒だったからです。

 

ちなみにこのひとつ目のブログでは、機械で行う1次審査にすら合格していません。

 

そして、2つ目のブログを更新し、アクセス数を増やし、1次審査にも合格し順調だと思っていましたが、気がついたら1年以上2次審査に合格できません。この間は、アドセンスサイトに飛び定期的に審査をポチポチしていました。

 

そして、アドセンスの事を忘れた頃にひとつ目のブログを審査に出してみたら、3日目にはあっさりと合格メールが届きました。単純な話、そっちのブログを早く審査に出していたら、もっと早く合格することができたと思いました。

 

自分としては、1次審査ですら合格できなかったブログがなぜ?という感じです。適当すぎてよくわからない世界です。

 

サラリーマン時代1年間のブログ戦略

最初の1年間は、文章をほぼ書く事がない理系の仕事をしていたこともあり、文章に自信がなかったし、ネットビジネスについても全く知識がなかったので、まずはブログがどういうものか知るために、ひたすら記事を書きまくりました。

 

今ではブログのテーマは変わりましたが、このときは株式投資について書いていました。

 

1日に数記事更新することもあったので、1年を超える頃には450記事以上ありました。そして、1年で10万PV程アクセスも増えましたが、戦略らしきものは全くといってありませんでした。人と差別化できるほどの専門的な知識も何もありません。ただ、毎日更新したからアクセスが増えただけです。

 

ということもあり、記事を書いてアクセス数が増えて、アドセンスに合格さえすれば収益が発生すると楽観的に思っていました。そして、本格的にどうやって収益を上げるのか考えるのは、アドセンスに合格してからで良いやと。

 

アクセス数が増えていた頃は、素人でも1年やり続ければこれだけ増えるのかと感動していました。アドセンスに合格さえすれば、2〜3万円発生するとネット上の記事で知りました。

 

サラリーマンの月収なんて1年後に1万円昇給すれば良い方です。1万円昇給しても税金が増えるし、社会保障税の負担が増えるしで、実際には1万円も貰えません。ブログの方がサラリーマンよりもはるかにイージーゲームだと思っていました。

 

月の昇給は本当に難しいです。 

→ 中小企業サラリーマンの10年目の平均昇給額は3400円、社会人になってはじめて昇給したときの話

 

退職と1年経過後のブログ戦略

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その後、プライベートで色々なことが重なり会社を退職する事になりました。理由は仕事の都合で東京に移動した後、シェアハウスで出会い付き合った彼女と日本を離れる事になったからです。

 

付き合い始めた頃、彼女はもう1年日本で契約を延長することを望んでいました。しかし、2年で3カ国働くという親会社のセールス部門のプログラムに応募し、参加者が多く難しい試験を乗り越えて合格してしまったのです。

 

合格する前から、もしもパスしたら一緒に行こうという話をしていました。

 

このときは、会社員を辞めたくても辞めれなかった自分のために、与えてくれた最後のチャンスだと本気で思っていました。このタイミングで仕事を辞められないなら、一生辞めることはないだろうなと。

→  今年の夏でサラリーマンを辞めます。資産は500万円、副収入は1万円以下、フランス人の彼女に養ってもらうことにした

 

ブログを始めていなければ、彼女に付いていくと言う選択肢はまず取らなかったです。ネットビジネスの利点は、大きく稼ぐことは難しいが、その分ネット環境さえあればどこに居ても稼ぐ事ができる点です。

 

会社員以外で収入を得るために、週末になると副業のためにカフェに行っていたし、彼女は自分が働いているので相手の収入は気にしないと言い、仕事でストレスを溜めている自分を応援してくれていたので、仕事を辞める後押しになりました。

 

この時の心境としては、サラリーマンをしながら1年で10万pv、実質稼げていないけどこれで2〜3万円稼げるのであれば、それほど難しいものではないと本気で思っていました。今後は仕事を辞めて本業として撤するので月に5万、10万と売り上げを上げられるだろうと。

 

かなり安易な選択でしたが彼女と一緒に入れるのが嬉しかったので、それだけで十分だと思っていました。

 

こんな経緯で仕事を辞めました

→ 自己紹介、2017年7月に31歳でセミリタイアした元リーマンのブログ

 

仕事を辞めてからのブログアフィリエイト戦略

本業で始めてるようになってからは、モチベーションの維持に苦労しました。アウトプットだけではなく、書籍を購入しインプットを気にするになったのもこの頃からです。

 

また、日記のような記事を書いて更新するのは誰にでもできる事なので、自分も商品を紹介してアフィリエイト的な記事にも挑戦したいと思っていました。アドセンスだけではいずれ限界が見えるからです。

 

新しくいちからサイトを作り直すのは面倒だったので、今あるブログでアフィリエイト(ブログアフィリエイト)をやる事にしました。結果、これがいつまでも経っても成果に結び付かず精神的に追い込まれていく事になります。

 

追い討ちをかけるように、アドセンスもいつまで経っても審査に合格しません。

 

仕事を辞めてからの最初の数ヶ月はビギナーズラックのおかげか、高単価1万円の案件がすぐに成約しました。アフィリエイトは難しくないなと思ったのです。

 

その後は何日も成果が全く発生しなく、以前よりも危機感が増して真剣に取り組むようになります。

 

このときは海外に居たので、集中して作業しようにも快適に働ける環境が見つからず苦労しました。

 

書籍やネットの情報を参考に、自分のブログを分析しようにも最初の1年間でテーマや戦略を決めず記事を書きすぎていたせいで、正直よくわからないブログになっていました。

 

アフィ系の書籍を読んで狙ったワードでとか言われても、グーグルコンソールを開いたらごちゃごちゃして良くわからない事になっています。

 

例えば、プログラミング系の商品を紹介するために記事を書き初めても、関係ないワードで検索されているので、ユーザーがどこから流入したのかわかりません。

 

結果、収益が発生する可能性が全くない記事や、何が言いたいのかわからないどうしようもない記事を大量に削除するなど、なんとかこのブログでアフィリエイトができないか労力を使っていました。

 

今にして思うと、こんな面倒な事をするよりも新しくサイトを作ってしまった方が何倍も早いです。

 

当初はかなり楽観的に考えていました。

→ 副収入が毎月10万円稼げるしくみ、ネット収入を得るのに向いていない人

 

取り組み始めたアフィリエイト戦略

最終的には散々労力を費やした結果、このままでは効率が悪すぎると思い、ようやく重い腰を上げてアフィリエイト用のサイトを作り始めました。

 

このときも海外に居て、思うように時間が取れずにイライラしていました。日本で集中して作業できる環境を作った方が何倍も早いです。海外にいるとちょっとした事をするだけでも、日本にいるときの2倍、3倍の労力を使います。

 

ドラッグストアに行けば簡単に手にはいる薬でも、海外だとまずどこに置いているのかから考えないと行けません。お店に行っても見つけられず、やっぱり良いやと帰ることもあります。

 

また、日本人同士のコミュニティにいると飲み会も増えて、なかなか自分の時間も確保できません。

 

この頃には、アドセンスに合格してアクセス数を増やして収益化を図ろうという気持ちは完全に失せていました。アドセンスに合格できていないので当然といえば当然です。

 

自分の時間が思うように確保できない事に加えて、数ヶ月取り組んでいるアフィリエイトでも全く成果がなかったので、かなり精神的に不安定でした。ただ書けばいいブログ記事と違い、アフィリエイトはブログよりも難しいので時間が掛かります。

 

心が折れそうになる時が何度もあります。毎日必死に記事を更新して、成果がゼロという日が何日も続くと気持ちが折れて当然です。

 

そんな時に、先月アドセンスに合格しました。

 

アドセンスに合格

アフィリエイトで心が折れかかっていた自分からすると、グーグルアドセンスは本当に素晴らしいサービスです。というか、心が折れそうになっていたのはネットビジネスだけが原因ではないですが。

 

セブ島にIT留学に行ったのですが、ITにも英語にもこれ以上学ぶ情熱がないのに、9時から18時まで拘束されていたのが苦痛でした。強制参加ではないですが、無料で体験させてもらって参加しないのも悪い気がしたので。夜は夜でひとりになると孤独を感じるせいで、ついついお酒にも逃げていました。

→ 仕事を辞めてから5ヶ月が経った、セブ島に来てみて感じたこと

 

留学中の記事

【Kredo校】セブ島のIT留学の体験談、3週間経過

 

グーグルアドセンスは戦略も検索ワードの選定も分析も一切必要なく、とりあえず書けば書くだけアクセス数が増え、アクセス数に応じて収益が上がってくれるのでとても楽です。

 

アドセンスが楽すぎて、ブログから脱却できずネットビジネスに成功できない理由がよくわかります。毎日ブログを書くだけで、少しずつ収益が増えてくれるのでこれほどモチベーションが上がるものはありません。

 

ブログを始めて1年半、これまでは毎日ブログ記事を書いても10円以下という不毛の日々を過ごしていました。たまに、まぐれで収益が発生するときもありましたが。

 

それがある日突然500円以上の価値が発生します。1時間以内に記事を書ければ時給500円です。しかも、この先続けていけば自然に上がっていき、ブログ記事を書くだけで時給1000円を超える可能性すらあるのです。1日1記事、1時間の作業だったとして。

 

過去の自分からするとこれほど嬉しいことはありません。

 

アドセンス広告を貼り付けただけで特に最適化も何もしていませんが、それでも月に1万円程度なら簡単に超えてくれそうです。

 

今後のネットビジネス戦略

少し前まではブログを書く意味を完全に見失ってしまいましたが、アドセンスに合格したことで再び書く必要性が生まれました。

 

ブログは書いているとやはり楽しいなと感じます。考えていることを文字に起こすと、気持ちが自然と整理されて前向きな気持ちになります。よくわかりませんが、精神安定剤的な役割があります。

 

今後もアフィリエイトで収益化を目指すと事に変わりはないですが、ブログも1日最低1記事は更新できるように続けていきます。あくまでブログは最低限の生活費を稼ぐためと、モチベーションを維持するためです。

 

ブログで少ない収入を稼ぐのは楽に達成可能ですが、大きな収益は発生させることは不可能だからです。

 

ネットで稼げるかどうかはアフィリエイトなしでは語れません。

→ ブログで収益化を目指して3ヶ月目、アフィリエイトで1万円

資産状況2017年11月 541万円(年比+4%)

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2013年、130万円
2014年、236万円(年比+80%)
2015年、362万円(年比+53%)
2016年、518万円(年比+43%)

 

2017年
01月、455万円(月比-13%)
02月、495万円(月比+8%)
03月、523万円(月比+5%)
04月、516万円(月比-1%)
05月、526万円(月比+1%)
06月、596万円(月比+5%)
07月、595万円(月比0%) → 退職

08月、561万円
09月、567万円
10月、560万円
11月、541万円

 

日本に戻ってきて久しぶりにお金の状況を把握した。海外に居てもいくら手元にあるのか簡単に確認できるようにしておいた方がいいと改めて思った。

 

仕事を辞めて無収入になったので当然資産は減っている。ただ、この3ヶ月間は海外旅行をして遊んでいたことを考えると、そこまで悲観的に考えていません。

 

生活費が掛からない実家があるというのが大きいだけだけれど。

 

前回の記事

→ 資産状況2017年7月 595万円(年比+13%)

仕事を辞めてから

会社を在籍していたのが7月末、 8月は実家で過ごし、その後の3ヶ月間は海外で過ごした。7月から8月で大きくお金が減っているのは、5年間使用していたパソコンを買い替えたり、仕事を辞めた直後に彼女と国内を旅行に行っていたから。

 

あとは、スマホの端末代を一括で支払ったり、いらないサービスを解約したりと大きなお金が出ていった。

 

所有株はこの3ヶ月間でほとんど動きはなかった。サラリーマン時代は毎日のようにチェックし、毎月こまめに記録を付けていたが、仕事を辞めてからは株価は全く気にしなくなった。会社員のときの方がお金の心配ばかりしていたかもしれません。

 

株に関して言えば、定期収入がないにも関わらず個別株に集中投資する状況ってどうなの?て自分でも思います。暴落がきたときに精神的に耐えられるのでしょうか。

 

できれば動かしたくないけれど、時間ができたのでどうするかじっくり考えてみるつもりです。

 

3ヶ月間の出費は?

仕事を辞めてから順調にお金は減っているけれど、その間フランスとフィリピンのセブ島を旅行していたことを考えると少ない出費だ。正確に計算していないけど、トータルで30万円前後使ったと思う。

 

【旅行代内訳】

パリ航空券、6万円

セブ航空券、7万円

日本航空券、2万円

パリ生活費、8万円

セブ生活費、6万円

その他、3万円

 

日本に戻らずにパリからセブ島へ直行するため、航空券は片道で取得したので割高だった。パリー東京間の往復チケットなら安いもので6万円台で見つけることができる。

 

パリからマニラへのチケットは4万円台で取得したけど、カタール航空の遅延が2回続き、マニラからセブ島へのチケットを2回も取り直した。カタール航空にもセブ航空にも問い合わせしたがどちらも返金しないと言われた。

 

知り合いのハンガリー人が言っていましたが、最近カタールは危ないようです。だから安く入手できたのかもしれません。

 

パリでは彼女が滞在するところに泊めてもらったので宿泊費は払っていない。2ヶ月滞在したが、レストランやバーに行くことはなく、毎週末スーパーマーケットに行き自炊していたので安く済んでいる。

 

パリ市街に何回か行ったが家でサンドイッチを持参するか、彼女の母親の友達に奢ってもらう、彼女の実家に遊びに行った時は料理を振舞ってくれたのでお金は掛かっていない。滞在していた時がちょうど文化の日と重なり、無料で博物館や美術館を見学することができたのはラッキーだった。

 

パリで普通の感覚で遊んでいたら、それだけでひと月20万円近く使うことになると思う。それくらパリの物価は高い、最安値のドミトリーを探しても3千円以上する。

 

ひと月パリにいて4万円で過ごしたのならかなり安い。

 

パリでお金を使わない生活を送っていたこと、彼女がお酒を飲まないので晩酌以外飲まなかったこと、セブはお酒を外で飲んでも安いということもあり無駄にお金を使いすぎてしまった。

 

久しぶりに日本人のコミュニティに混じったことも大きかったと思います。

 

宿泊費や授業料が無料になるからセブ島に行ったけど、航空券や生活費を含めるとトータルで高い留学になった。もうしばらく留学は行かなくていいやと思えたことは良かったけど、無駄に使いすぎてしまった感はある。

 

パリではこんな生活をしていました。

→ 仕事を辞めてから80日が経った、フランスのパリでこんな生活をしています

 

この後の予定は

このあとは3ヶ月日本に滞在し失業保険で50万円ほど入るが、今年度の国民健康保険の支払いで22万円と住民税の支払いでほぼ無くなってしまう。

 

ちなみに、失業保険受給期間中のネット収入は正直に深刻した方が良さそうです。自治体によっても違うようですが、大概は「減額無し」となるようです。

失業保険受給中の在宅副収入をハローワークに申告した結果

 

ブログやアフィリエイトは、パートやアルバイトなどの一般的な労働とは違うので、どう判断するかは基準が曖昧なようです。趣味による収入であれば労働とは見なされません。1日に4時間以上仕事をしたらひとつの基準になるようですが、ネットの仕事で4時間働くことは稀です。

 

日本では3ヶ月実家で生活することになるので、 株価が暴落しない限りは大きく資産が減ることはありません。ネットビジネスに集中したいので、当分は旅行に行く予定もありません。仕事を辞めた当初は、東南アジアを呑気に一周しようとか思っていましたが、その気は完全に失せました。

 

海外で旅をしながら稼ぐノマドというのが流行っていますが、自分の場合しっかり働いて、しっかり遊んだ方が精神的に安定しそうです。というか、旅をしながら働くことのメリットがわかりませんでした。

 

集中できる静かな場所を探すのも手間がかかるし、ネットと電源がある場所を探すのも大変です。また、日本人同士のコミュニティに混ざれば飲み会ばかりで疲れます。

 

どちらかというと、もっと集中して家で仕事がしたいと思いました。

→ 会社を辞めて海外を3ヶ月旅してみて思ったことは「もっと働きたい」

 

今後については、金銭面的にはそれほど悲観はしていないです。仕事を辞めてから20万円ほど減りましたが、それはあくまで旅行をしていたからです。

 

出費が少ないこともあり、直期に生活費よりも収入の方が大きくなります。もちろん、贅沢をしない、緊急な出費がないことが条件ですが。

 

長い長い旅行から帰って久しぶりに実家の自分の家で寝ました。やはり個室は居心地がいいです。起きてからすぐに仕事が始められる環境も最高です。お腹が空けば食料はいくらでもあります。パリにいた時のように、スーパーに買い出しに行き、彼女が帰る時間に合わせて用意する必要もありません。

 

夕飯を食べれば、あとは自由なので部屋に戻ってまた作業を始められます。

 

そのうち飽きるかもしれませんが、家に帰ってこれて良かったです。

 

まだまだ先が見えないビジネスですが、頑張ってアフィリエイトに挑戦します。

→ ブログで収益化を目指して3ヶ月目、アフィリエイトで1万円