セミリタイアしたサラリーマン投資家
2017年夏にセミリタイアし、海外と日本のデュアルライフを目指します

自己紹介、2017年7月に31歳でセミリタイアした元リーマンのブログ

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2017年7月11日にセミリタイすることになった。新しく第2の人生を歩き始めるのでこの機会に改めて自己紹介することにした。

 

ブログはいかに働かずに生活できるか、海外と日本のデュアルライフをテーマにし新しい生活スタイルを提案したい。海外は彼女が住む拠点と、その周辺諸国に放浪、日本の3つを拠点にする予定、ひとつの場所にとらわれず旅をするように暮らすつもりだ。最初の滞在先は彼女の母国のフランスになる。

 

オンラインでのビジネスがある程度軌道に乗ったら、オフラインのリアルな世界のビジネスにもチャレンジしたい。理想は海外に複数拠点を作り、直接働かずに滞在できる仕組みが作れればいい。

 

自分がセミリタイアを決断したのは資産が500万円しかない時、副収入も5千円に満たない。普通の感覚であればこの水準でセミリタイア生活を始めるような人はいない。だからこそブログとしても書き応えがある。

  

とはいえ、しばらくは貯金の蓄えがあるのと彼女の支えがあるおかげで生活していくには当分困らない。オンラインのビジネスをしていると聞こえはいいが、収入がない以上はただのニートと大差はない。

 

彼女が滞在する場所に住めば家賃は掛からない、海外放浪する場合は物価が安い東南アジア諸国を5万円程度の予算で回る、日本に滞在する場合は実家に帰るため、家賃、食費、光熱費は払うつもりはない。まだ両親が共に働いていることもあり了承を得ている。

 

月に5万円で生活できた場合は、140ヶ月、11年は無収入でも生きていける。月に10万円で生活した場合は、70ヶ月、5年と半年だ。ということもあり、収入はないのだけれどそれほど悲観はしていない。

 

心配なのはお酒を飲んで財布の紐が緩くなってしまうのと、旅行時の交通費くらいである。

 

最悪の事態を想定すると、収入がないまま彼女と別れて、親の介護が必要になった時だろうか、まぁそうなったらその時で考えるしかない。

 

再来月からフランスのパリにしばらく住み、その後はフィリピンのセブ島にIT留学、その後は失業保険を得るために日本の実家に戻る予定。失業保険をもらった後のプランはまだない。ベトナム、タイ、ラオス、ミャンマー、インドあたりをゆっくり時間をかけて放浪したいと思っている。

 

 

失敗ばかりのサラリーマン時代

 

22歳で大学を卒業し2008年からITエンジニアの職に就いた。

 

その後は1年半で退社、フィジーという語学学校に3ヶ月間留学、帰国後2社目の会社に入社するが1年経つ前に退社、3社目に勤めることになる会社がインドで働けるプログラマーを探していたのですぐに入社した。

 

2年間でインドに働き、その後日本の地方で4年間働くが、2017年、東京に新しいオフィスを設けることになり再び東京で働くことになった。

 

大学を卒業して一番最初に入社した会社は典型的なブラック企業だった。

 

ブラック企業の批判をしているメディアを見て常々思うことだが、大半のブラック企業は自分たちがブラック企業だという自覚はない。意図的に従業員を過剰に働かせて摂取しようとしている会社の方が実は少ない、それよりも社員を守っているとか雇用を作ろうとか社会をより良くしようと考えている経営者の方が大半だろう。

 

経営者とは名ばかりで、無能な人がトップに立つと人材を売買することでしか事業が成り立たない。エンジニアを売買することが社会貢献になると本気で思っているから怖いものがある。

 

ブラック企業を減らすためには自分たちがしていることはブラック企業だと自覚を持たせることの方が重要だと思う。

 

ブラック企業に勤めていた時にその会社の社長が、政治のスキャンダルを見て自分のような人間が政治家になった方が良い社会が作れると言っていたのが印象的だった。周りの社員も頷いていた。

 

当時はあまりの給料の低さと将来性のなさに金融危機で仕事がない時代にも関わらず、会社を飛び出したのだが、外の世界に出てみたらどこも似たようなものだった。

 

この頃から会社に依存しないで生きたい、若い内は苦労して必死に働き可能な限り早く成功して誰にも依存しないで生きようと思っていた。努力すれば努力が報われると思っていたからだ。この時は英語とITの知識をつけるのが一番の近道だと思っていた。

 

結果的には英語もそこそこできるようになり、仕事でもそれなりに評価されるようになったが不思議と心が満たされることはなかった。

 

収入も資産も順調に増えたがどれだけ増えても心が満たされないことに違和感を感じるようになった。収入が増えれば増えるほど会社に依存している自分がいた。

 

シェアハウスに住んで人生が変わった

 

海外から帰国し地方に住み、会社と自宅の往復、週末はいつも気の合う同僚とお酒を飲み、決まったルーチンの中で生きるようになった。30歳に近づいた頃から、自分も周りの知人と同じように結婚して、今の会社でサラリーマンとして働き続けるんだろうと思っていた。

 

20代の頃は海外留学、海外旅行、途上国勤務、色んな体験ができてよかったと自分に言い聞かせるようにして生きていた気がする。

 

ある日転機が訪れ、会社が東京に新しいオフィスを設けることになり、そのおかげで再び東京で働くことになった。 

 

通勤電車に乗るつもりはなかったので、職場から徒歩5分のシェアハウスを見つけ、そこに住むことにした。シングル部屋は空いていなくドミトリーだったため、ここに住むか迷ったのだが、結果的にこのシェアハウスに住んだことで自分の人生を大きく変えた。

 

フランス人女性と仲良くなった、住み始めた最初の週から毎日一緒に夕食を食べるようになり、入居してから3週間後には付き合う関係になっていた。

 

彼女はフランス大手のメーカーに勤めていた。2年間で3カ国働くという会社のプログラムに応募することになり、これに受かったら一緒に付いていく事になっていた。

 

彼女は年齢が8歳も下だが、30を過ぎた自分と同じくらい給料を稼いでいる。間違いなく自分よりも何倍も優秀だった。彼女と自分が同じ年齢で同じくらいの給料であれば、付いていくかどうか迷っていたかもしれないが、正直迷う理由は何もなかった。9年間もサラリーマンを続けていると、将来どれだけ自分が稼げるか限界も見えてくる。

 

大きな決断をしたようにハウスメイトから言われるが、自分としては合理的な選択をしたに過ぎない。

 

サラリーマンの才能がない自分がサラリーマンで収入を得るよりも、より才能がある彼女が働いた方がマシだ。一緒にいるためにどちらかの生活スタイルに合わせるのであれば、間違いなく自分ではなく彼女だろう。

 

しかも彼女は日本を離れて2年間で3カ国住む事になるのである。何が楽しくて日本の会社に働き続ける必要があるのだろう。彼女と一緒になれば刺激的な体験をすることができるのは間違いない。アジアに行くかもしれないし、ヨーロッパや南米に生活拠点を持つことができるかもしれない。

 

元々自分は海外志向が強かったし、会社に依存しないで生きたいと思っていた。そのために英語の勉強をしていた、そのために株式投資を始めた、そのためにブログでこずかい稼ぎを始めたのである。

 

できることなら、働かずに世界を放浪しながら旅をするように暮らしたいという願望もあった。

 

この半年間はあっという間だった、人生は何が起きるのかわからない。なにか運命に導かれるように物事が進んでいった。  

 

東京に移動したのは2月末、3月には付き合い始め、4月には一緒に住む話をし、5月は沖縄に旅行し、6月には彼女がプログラムに受かり、7月には自分は会社を辞めていた。

 

半年前には想像できなかったことである。

 

サラリーマンを誹謗中傷していた時代

 

仕事を辞める前までは、同僚とお酒を飲み酔っ払いながら、サラリーマンなんて会社の奴隷だと言って見下していた。セミリタイアしてからは、サラリーマンもフリーランスもフリーターも働き方のひとつにしか過ぎないと思うようになった。

 

これがだめ、あれがだめということではなく、お互いメリットとデメリットがあり、自分に合った働き方がそれぞれあり、その時々の生活スタイルに合わせて働き方を柔軟に変えればいい。

 

サラリーマンを知らなればサラリーマンの良さもわからない、サラリーマンの悪いところを知らなければ、フリーランスやフリーターに魅力を感じないだろう。そういう意味では誰もが一度はサラリーマンを経験しておいた方がいいだろう。

 

サラリーマンが合う人と合わない人

 

同僚に会社の愚痴をいっていたのは、仕事を辞めたくても辞められずにいる自分自身に向けて語っていただけに過ぎなかった。

 

ひとつの場所に定住したいと思っているサラリーマンや公務員の生き方が自分には理解できないが、それと同じようにひとつの場所に縛られずに自由に生きたいと思っている人の考えは理解できない。

 

自分はサラリーマンのような生き方に魅力を感じなかったが、それでも自分の感情を押し殺して生きてきた。自由に生きたいという感情が爆発しないように、ビジネス書や自己啓発本を読み周りに考えを合わせていた。その結果、理性的で打算的でつまらない生き方をしていた。

 

バックパッカーのバイブルになっている沢木耕太郎の「深夜特急」も、旅に出たい気持ちが爆発したら困るなと思い意図的に避けてきた。最近にようやく読み始めるようになったが、2冊目の後半、著者が会社員の仕事を辞めた時の話が書かれていたのが印象的だった。もっと早くこの本を手にして入ればよかった。

 

著者は丸の内に本社を構える会社に出社しようとした初日、雨が降っているからという理由で会社員になるのを辞め、家に引き返したのである。

 

著者自身の言葉ではないが、「私は人々の生活の中に入り込み、また出ていくのが好きなのです。一定の場所で一定の人たちと生活するのに退屈を覚えるのです」とある。

 

自分も昔からそんな節があった。ひとつの場所に長居することに息苦しさを覚える。何かに固定されると、その場から逃げたくなってしまう。新しい生活が始まる時はいつも決まって心は興奮していた。会社を辞めて次の会社に働くとき、新しい国の空港に飛び降りたとき、新しい場所に住み始めるとき。

 

おそらく自分の彼女も同じように感じていると思う。だから2年3カ国で働けるプログラムを受けたし、旅行をするのが好きだ。

 

反対に、公務員のように40年間同じ職場で働き続けることが決まっていたら、息苦しくなり生きがいを何も見い出せないだろう。この本を早く手にしていたら、もっと早い段階でサラリーマンという仕事を決別していたと思った。

 

深夜特急を読んでいると不思議な気持ちになる。著者が日本を飛び出したのは1970年代のことだ、いつの時代にも社会に馴染めずに息苦しさを覚える人が一定数いる。テクノロジーが発達しようが、世界の国境が低くなろうが、ネットやスマホが普及しようが関係ない。

  

アマゾン: 深夜特急〈2〉マレー半島・シンガポール (新潮文庫)

 

著者のように雨が降ったからという理由で会社に行かなかった人もいるが、そういう人を責めることはできないだろう。彼がいなければ、多くの日本人はバックパックを背負って世界に旅立っていないのだから。

 

最初の会社に入社したとき、一度も出社せず初日に会社を辞めた同期がいた。非常識な人がいるものだと鼻で笑っていたのだが、今の自分はそういう感性が羨ましいと思うようになった。

 

この会社がブラック企業だったことを考えると彼の感性の方が鋭い。結局自分も1年半後には辞めるのだから。

 

生きづらい社会を生きる日本人

 

サラリーマンや公務員という生き方が自分に合っている人も一定数以上いるのだが、現代社会はどちらかというと、不本意なままサラリーマンという生き方をしている人の方が大多数だろう。

 

それは朝の満員電車に乗れば誰もが感じることだ。安定収入にしがみつき、自分で自分の人生に責任を持てない人が増えている、他人に任せることで勝負の世界から逃げようとしている弱い人間ばかりだ。野生の中で生きられなくなった動物は自ら檻の中に帰ってくるのである。

 

個人的には日本は今後もっと生きづらい社会になると思っている。高齢者の割合が増えることで現役世帯の一人当たりの負担が増し、日本経済は高度経済成長期をピークにこれからも縮小を続けていく。

 

非正規社員の数が4割を超える時代になったが、ますます参加者同士で少ない椅子を奪い合う形になる。一度手に入れた席に必死にしがみ付こうとする人は増え、我慢大会は激しさを増していく。自分が在籍していた会社の社員を見ていても、仕事に生きがいを感じている人なんて全体の10%もいない。大半は生きるためにお金の奴隷になっている社員ばかりだ。

 

フルタイムという固定された仕事にしがみ付くより、自分の生きたいように生きた方が何倍も価値のある人生を送ることができると思うが、それが心地いいと思うかはどうかも人それぞれだ。

 

サラリーマンとして生きることを前提にしていた時は、セミリタイア関連のブログや書籍は見ないように敢えて避けてきた。サラリーマンとしてしか生きられないと思っていた自分には刺激が強すぎるからだ。これからは自分の媒体もサラリーマンには刺激の強い存在になるかもしれない。

  

ローマのコロッセオ

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インドのホーリーという祭り

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セミリタイア生活が始まった

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6年間勤めた会社を辞めた時の話

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サラリーマンを辞める決断をした時の話

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新しい場所に足を踏み入れるのが好きだ

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