セミリタイアしたサラリーマン投資家
2017年7月に資産500万円でセミリタイアして、海外と日本のデュアルライフを目指します。
現在ネット収入は5000円。働かなくても良い、新しい生活スタイルを実現したい。

会社を辞めて海外を3ヶ月旅してみて思ったことは「もっと働きたい」

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会社を正式に退職したのが、2017年の8月、そのあとは1ヶ月実家で生活し、彼女が住むフランスのパリで2ヶ月過ごし、そしてIT留学へ参加するためにフィリピンのセブ島で1ヶ月を過ごした。

 

この4ヶ月間は、サラリーマン時代と比較して、良い意味でも悪い意味でもとても中身の濃い時間を過ごした。

 

そして、自分でもびっくりするほど様々な心境の変化があり、本当の意味で自分と向き合う事が出来た。

 

収入が十分にないけれどワーホリや語学留学のために仕事を辞めて、海外生活をしてみたいと思っている人は多いと思うが、そういう人たちに参考になれば良いと思い自分が過ごした4ヶ月について書くことにした。

 

結論から言うと、ネットビジネスをしながら海外で生活をするノマドワーカーのような存在に憧れていたけど、今はそれほど魅力を感じていない。また、典型的な会社員のようなスケジュールや納期に終われる忙しい生活を捨てて、ゆるい生活がしたいと思っていたけれど、もっと仕事がしたいという気持ちの方が強くなった。

会社を辞めた理由

数ヶ月程度の空白期間があるが、大学を卒業してから9年間IT業界で働いていた。この間、情報系の資格の勉強をしたり、独学で英語を学んだり、自宅でも開発環境を揃えてプログラミング言語を習ったりと、ある程度仕事に情熱を持って取り組んで来た方だと思う。

 

そのおかげか、決して良い労働条件ではなかったけれど海外で2年間働けたり、帰国後は上司から高い評価を得て給料が右肩上がりで増えるなど、それなりに良い経験をする事ができた。

 

社会人1年目でITのブラック企業に就職し、他の人よりもスタートラインが低かっただけに徐々に労働条件を改善していけたのは素直に嬉しかったし、自信にもつながった。

 

しかし、いつからかは明確にわからないが、これ以上会社員として生きていくには限界があると感じていた。自分が本当に求めているものは、会社に居ては得られないと思うようになったからだ。

 

恐らく、自分が若い頃にこの仕事に情熱を持ち頑張れてこれたのは、仕事ができるようになれば会社から依存しないで生きて行けると思っていたからだ。未経験でITの世界に飛び込んだのは技術職だから独立がしやすい、他の業種と比較して会社に依存せずに働ける職業だと思った。ITの事が好きでこの仕事を選択したわけではない。

 

英語に力を入れていたのも、仕事がない時期に社会に出て働き始め、硬直した日本社会でしか働けない事がリスクだと思うようになったからだ。

 

若い頃は仕事を覚えて良いポジションに付けさえすれば、柔軟に仕事ができ生活の自由度が増すと純粋に思っていた。また、給料が増えて資産が増えれば、欲しいものが手には入り私生活も楽しく過ごせると思った。

 

しかし現実は、給料が増える度に上司からのプレッシャーが増し、スケジュールに責任を持つようになり、会議の時間が増えて自分の仕事を終わらせられない、外国人スタッフや若手社員に仕事を教えるなどの手間が増えた。

 

結果若い頃よりも息苦しいと思うようになった。銀行の通帳口座にお金が増えていくけれど、お金が増えれば増えるほどそれを守りたいという気持ちが強くなった。そして、お金が増えても安心感を買える訳ではない。手にしたお金を失いたくないという気持ちは、余計息苦しくさせる。

 

会社や職種によっては自由度が高い仕事があると思うが、少なくとも自分が居た環境はそうではなかった。自分の知識や技術力が足りないと言われればそれまでだけど。

 

家族が居ても日付が変わるまで仕事をしている先輩社員を見ながら、これからも自分にとって満足のある生活は手に入らないと思うようになった。

 

そんな時に会社の都合で東京に移動し、フランス人の彼女と出会い、仕事を辞める機会を得た。普通に考えれば収入がない状態で仕事を辞める人はいないけれど、それでも仕事を辞めるストーリーとしては十分だと思った。

 

収入がないけど仕事を辞めますでは、ただのニートかという目で見られるけど、彼女と一緒に居るためにネットビジネスで生計を立てながら海外で生活する決心をしたと聞くと、それだけで立派なストーリーになる。実際はただのニートと変わらないけれど。

 

この状況でさえ仕事を辞められないのであれば、一生不満を言いながら会社に依存して生きていく事になるだろうと思った。また、少ない収入で海外を自由に生活するセミリタイア系のブログを見ながら励まされていたのも大きい。

 

仕事を辞める決断をした時の話

→ 自己紹介、2017年7月に31歳でセミリタイアした元リーマンのブログ - セミリタイアしたサラリーマン投資家

 

仕事を辞めてから実家で過ごした1ヶ月間

8月に会社の籍を外し、彼女と一緒に東京から実家へと向かった。このときは、これから先訪れるであろう未来に心が踊っていた。ひとりで東京を離れたら寂しいけれど、この時は彼女が一緒だったこともあり、不安な気持ちは全くなかった。

 

そして、実家では全く収入がない状態だったけれど、かなり気楽に過ごすことができた。

 

実家は両親がまだ共に働いていることもあり、家賃も食費も払わなくて済む。東京では共同部屋に過ごして月に6万円支払っていたけれど、実家では生活費ゼロで個室に住むことができる。

 

自由にクルマを使うことができるし、家に帰れば風呂も湧いていて、毎日母親の手料理を食べられる上にお酒も飲み放題だ。ひとりで地方のアパートに住んでいた時と比較して、まさに天国のような場所だと思った。

 

20代後半で仕事に打ち込んでいた時は朝から晩まで会社で仕事をする、夕食を家で作る時間もない、節約して過ごしても月に数万円しか貯まらない。なんのために働いているのかわからないという生活を送っていた。

 

忙しい日々を忘れ実家ではのんびり過ごそうと思った。気が向いたら図書館に行き気楽にブログを更新する、疲れたと思ったら家に帰り、スポーツジムに行くか本を読む、夕食は7時前には食べ始め、夕食後はだらだらとネットを見て過ごす。

 

この生活を1ヶ月続けた後は、彼女が住むフランスのパリに行き、さらにセブ島で留学生活をすると考えたら、それだけで気分は晴れ晴れとしていた。 

 

実家で過ごした時の心境

→ セミリタイアして40日が経った、実家にいるおかげで1日の出費がゼロ円の時もよくある

 

孤独を感じたパリでの生活

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パリの美術館

 

実家で1ヶ月過ごした後、楽しみにフランスのパリに向かった。最初の1週間や2週間は久しぶりの海外生活で心がワクワクしていた。昔から何となく憧れていたヨーロッパに住むことができて嬉しかったし、彼女が居るから余計楽しいと思っていた。しかし、パリの生活も慣れてくると次第に日本に帰りたい気持ちの方が強くなった。

 

フランスは外国人にはとても住みにくい場所だ。帰国後にハンガリー人と知り合いになったけれど、ヨーロッパ人にとってもフランスは特別住みにくい場所だと言っていた。

 

パリ市内の駅でさえ英語の案内は一切ない、レストランやカフェに入っても電源もなければネット環境もない。英語のメニューはないので注文すらできない、その上物価が高いので外で食べる気にもなれない。

 

東南アジアだと多民族国家が多いので基本的にどこに言っても英語表記がある。

 

平日の日中は彼女は働いているので、ひとりで過ごす時間が多かった。彼女が仕事に行くために家を出ると、夜の7時を過ぎるまで帰ってこない。気分転換のために近くの公園にランニングしに行くのだけれど、家族連れやカップルが多く、自分だけが外国人でひとりだけ別の世界にいるようだった。

 

週末は彼女とパリ市内や彼女の実家に行くのだけれど、彼女の知り合いに会えばフランス語、自分だけが会話に入れないことも多い。たまに英語で話してくれる人もいるが、お互いそこまで英語が上手いわけでもない、アジア訛りが強い自分のブロークンイングリッシュと、フランス訛りが強いフランス人とでは難しかった。

 

過去に外国人女性と付き合ったことは何度かあるが、思えば日本で出会い日本で生活していたので自分が困ることはほとんどなかった。彼女も日本が好きで日本語を勉強してから日本に来ているので、積極的に日本の文化に入ろうとする。自分のように突然フランスに来て、フランスに慣れろと言われても正直難しい。

 

恥ずかしい話だけれど、彼女が生まれた母国で生活し初めて国際恋愛は難しいということを知った。

 

彼女の家族や知人にフランス語を勉強しているか何回か聞かれたが、フランス語は全く勉強していない。時間に余裕があればフランス語も勉強したいけど、収入がない状態で仕事を辞めたのに、呑気に語学の勉強をする気にはなれない。優先順位は語学よりも自分のビジネスだ。

 

そんなこともあり、フランスを出て早くセブ島に行きたいと思っていた。

 

セブ島に行けば冬でも暖かく南国気分が味わえる。パリにいると物価が高いので何も買う気になれないけど、東南アジアは物価が安くレストランにもバーにもいける、何よりアジアの開放的な気分に浸りたいと思っていた。

 

→ 仕事を辞めてから3ヶ月が経った、セミリタイアブルーを感じるパリでの生活

  

セブ島IT留学を経験してみて

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セブ島のコロンロード

 

セブ島に来たけれど気分は晴れることはなかった。むしろ、パリにいた頃よりも落ち込むことの方が多かった。

 

理由はいくつかあるけれど、1番の問題はぐっすりと眠れないこと。

 

セブのIT留学は授業料と滞在費が無料だから来たけれど、滞在先の部屋は共有部屋だった。シェアハウスに住んでいたこともあり共有部屋は慣れていたけれど、安物の不安定な二段ベッドだったせいで、同居人が動くたびにギシギシと揺れる、さらに古くてうるさいエアコンが二段ベッドの目の前にあり、騒音と冷風で寝られなかった。

 

これは自分だけではなく、留学生は皆口を揃えて言っていた。

 

耳栓とアイマスクがあればどこでも寝れると思っていたけれど、流石に狭いベッドがギシギシ動くのは辛い。さらに、時差ボケがあったため最初の週と翌週は全く眠れなかった。この時は精神的に不安定な日々が続いた。

 

睡眠の質が落ちると自律神経が乱れ不安な気持ちが強くなる。そうじゃなくても、ニートや無職という立場は精神的に不安定にさせるものだ。

 

気分転換に外を走ろうにも排気ガスで空気が悪い、油ぽい料理ばかりで栄養が偏る、学校の拘束時間が長く自分の時間が持てないことも裏目に出た。さらに、セブは驚くほどビールが安いので、ついついお酒に逃げてしまう。レストランでビール瓶を1本頼んでも150円もしない。値段が高ければ飲みには行かないけれど、これだけ安いと留学生にお酒を誘われたときに断る理由は自分には無い。また、せっかくセブ島まで来たから良いかという気持ちにもさせる。

 

お酒を飲む日が続くと、余計眠れなくなりさらに精神が不安定になった。

 

彼女が居るから仕事を辞めてネットだけで生計を立てる人生を選択したけれど、もしも彼女と別れたらただのニートと変わらない。彼女が居るからこそ一緒に海外生活を送りたいけれど、ひとりで海外に住む理由は何もない。そして、彼女と別れた時に収入がない自分は必然的に実家で過ごすことになる。良い歳をして実家にいつまでも住むわけにはいかない。

 

辞める前から分かっていたことだけど、彼女に依存している自分の現状に嫌気がさしていた。

 

無職の状態は精神的に不安定になるだろうなと思っていた、普段の生活では大丈夫で意外と何とかなるもの思っていたけれど、自律神経が乱れて眠れない時に襲ってくる不安は自分でもびっくりするほどだった。

 

若い時にはあまり気にしたことはなかったけれど、体調管理は重要だということを改めて感じた。

 

セブの生活は陽気な英語講師とたわいのない話をして、普段会わないタイプの留学生と飲みに行くのは楽しかったけれど、この生活を続けたいとは思わなかった。むしろ、内心では退屈だなと思っていた。楽しいだけでは心を満足させることができない。ビジネスで数値を追いかけていた方が自分は好きだなということに気がついた。

 

セブ島にいた時は、終始落ち着いて仕事ができる環境を探していた。セブ島にはカフェがたくさんあるけれど、ネット環境が悪いし、どこに行ってもうるさい、静かに集中して作業ができる場所は少なかった。

 

また、若い頃のように留学生活がしたいと思ってセブ島に行ったけれど、早く日本に戻りたいとずっと思っていた。

 

→ 【セブ島 IT×英語Kredo】元エンジニアが1ヶ月間ITと英語を学んでみた感想

 

4ヶ月ぶりに東京に戻って思う事

セブ島で1ヶ月過ごし、かつて生活していた東京に久しぶりに戻って来た。東京ではシェアハウスに行ったり、前の会社の同僚と久しぶりに話たいと思い3日間滞在することにした。

 

久しぶりに友人と会い話して思ったのは、自分はこの4ヶ月間色んな体験をした。写真を見ながらこの4ヶ月のことを振り返ると、まるで2年くらい体験した出来事のようだった。

 

そして、久しぶりに会った友人は特にこの4ヶ月間で大きく変わったことは何もない。

 

冷静に考えてみると、サラリーマン時代の自分の生活を振り返ると会社員の4ヶ月間てそういうものだよなと改めて思った。毎日同いルーチンの中で過ごしているので、あっという間に時間が過ぎる。

 

毎日同じ人に会い、基本的には毎日同じような仕事をする、自分のことを振り返る機会もない、気持ちが大きく揺れ動くような体験も基本的にはない。久しぶりに以前の友人と会ったことで、中身の濃い4ヶ月間を過ごしたということに改めて気づいた。

 

自分が仕事を辞めて会社を去る決断をしたのは、はるか昔のことのように感じた。

 

4ヶ月前との気持ちの変化

人生で初めて自由な身になって海外生活を体験してみて率直に思ったことは、期待していたほど楽しくはなかったということだ。

 

20代の頃は海外旅行でたくさんの国に行ったし、語学留学や仕事で長期滞在したこともある、海外というだけで幻想を抱いていたわけじゃない。

 

それでも、期待していたより海外生活が楽しめなかったのは不思議だった。

 

昔はひとり旅が好きだと思っていたが、フランスに居た時は周辺国のドイツやスペイン、イタリアに行かなかったし、セブ島にいた時はビーチにさえ行かなかった。

 

夜眠れないことで不安な日々を過ごしたり、海外に滞在して感じた違和感を冷静に考えてみたところ、結局今の自分が欲しかったのはネットビジネスに集中して作業する時間と場所だったということに気が付いた。

 

フランスに居た時は、自分に収入がないという事が引け目になり彼女に気を使って生活していた。本当はもっとパソコンで作業したかったけれど、彼女が帰って来る前には夕食を作り、週末は彼女に合わせて行きたい場所に付いていった。もっと作業したいと思っても、彼女が家にいるときはやらないようにした。また、ネットがあるところで集中して作業できる環境がなかったのも大きかったと思う。

 

セブ島に居た時は、基本的には学校にいる時間が長く、夜はお酒を飲む機会が増え、適度に運動しようにも時間が取れず、自分のリズムを作れないことが明らかにストレスになっていた。セブ島はどこに行ってもうるさいので中々集中して作業ができる場所がない。

 

よく、セブ島はカフェがたくさんあるので作業しやすいという人がいるが、どこのカフェに行っても人が多くフィリピン人がうるさいので集中できない。

 

結局のところ、のんびり海外で生活しながら適度に仕事ができたら良いなと思って立てたプランだったけれど、実際にはもっと集中して仕事をしたいと思っている自分がいた。

 

サラリーマンに戻る道はあるか?

夜眠れなくなり気持ちが不安定になった時に、最初は会社を辞めたことを後悔しているのが原因なのかもしれないと考えたけど、冷静に自分を見つめ直してみてサラリーマンに戻りたいという気持ちはやっぱりない。もちろん、時間が経つとまた考え方は変わるかもしれないが。

 

もっと働きたいというのは、サラリーマンやアルバイトのような時間を切り売りした労働ではなく、あくまで自分のビジネスでどこまで稼げるようになるのかを試したいという意味だ。

 

時間が経つと昔の記憶は美化される傾向にあるので、あの頃はよかったあの頃に戻りたいと思うことは度々あるけれど、あのまま会社員として生き続ける事が自分にとって幸せだったとは思わない。

 

なぜなら、どれだけ必死に働いても基本的には会社の資産のために働くのは自分にとってはとても苦痛だからだ。専門分野を活かせて自由に働ける仕事であれば良いのかもしれないが、自分の仕事はそういうタイプの仕事ではない。

 

今現在は実入りはほとんどないけれど、それでも自分の資産のために働いているというだけで充実感はある。アウトプットしている時間も、本を読んでいる時間も、ネットで情報収集している時間も自分の資産のためだ。この生活を続けていると、会社の椅子に1日10時間以上座って他人の資産のために働こうとは思えない。

 

たとえ、この先彼女と別れたとしても仕事を辞める機会を与えてくれた彼女には感謝している。本当にお金に困って働かないといけない状況になれば、選択肢はないのだけれど、今のところそのつもりはない。

 

あのタイミングで仕事を辞めなれければ、おそらく会社に依存しながらズルズルと決断を先延ばしにしていたと思う。そして、どこかで妥協点を見つけて結婚し子供ができた後も、サラリーマンを辞めるという理想を抱きながら働き続けていると思う。

 

週末の飲み会になるたびに、あの時会社を辞めていればと周囲に愚痴を漏らし続けるのは辛い。

 

基本的には理想を抱き続けるよりも、思い切って行動してしまった方が良いと思う。30歳手前で海外生活を1度もしたことがない人が、人生最後のチャンスにとワーホリを選択する人は多いけど、ギリギリの年齢になる前にもう少し早く行動に移した方がいい。

 

ワーホリと言わず、海外に短期間でも滞在してみるとか、何とか方法はあるはずだ。自分が体験したことがないことで理想を頂きながら生き続けるのは辛い。

 

海外ノマド生活に憧れていたけど、今回自分が海外生活をして思ったことは、集中して作業するには海外は向いていないという事。日本と同じように生活環境を用意するのは難しい、食生活が変われば環境に慣れるために時間がかかる、静かに集中できる環境を探すのも難しい、ネットが日本にいるときのようにいつでも手にはいるわけでもない。

 

今の自分が欲しいと思ったのは、集中して作業ができる時間と場所だという事がわかった。睡眠時間をしっかりと確保し、適度に運動する、集中して作業できるように自己管理でき、定期的にアウトプットし続けている時の方が気持ちは安定する。

 

IT業界に勤めていなければ、もっと違った道があったかもしれない

→ かつての米国のIT企業と違って、日本のIT企業に多重派遣や多重下請け構造の問題がなくならないと思う理由

 

→  サラリーマンが仕事を辞めて自由に生きていくために必要な5つの方法

 

これからの目標 

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相変わらずまともな収入はないけれど、ネットビジネスに関しては意外と不安な気持ちはない。単純に生活費コストが掛からない実家がある事が一番大きいと思う。ネットビジネスが成功できるかどうかは、月々の生活費をどこまで落とせるかが重要だと思う。

 

最初の数年は成果が全く出なくても、やり続けることで徐々に効果が得られるからだ。成果を実感する前に挫折して消えて行く人は多い。

 

 

現在の月の固定費は8000円以下なので、ネット収入だけで1万5千円を稼げれば、これだけで生活費を上回ることになる。グーグルアドセンスに合格したことで生活費を上回る収入を得るのは時間の問題だ。

 

アフィリエイトだといつ成果が出るか全くわからないけど、アドセンスだとアクセス数に依存するので簡単に予想ができるのが有難い。

 

 

ブログで最低限の生活費を稼ぐことを目標にし、後はアフィリエイトサイトを複数運営し収入を増やしていくのが理想的だと思っている。

 

生活費を上回るようになると継続可能になるため、気持ちはだいぶ楽になる。サラリーマンを辞めても貯金残高が減らないようになると後は怖いものはない。もちろん、いつまでも実家にいるわけにはいかないので、もっと稼げるように常に考える必要はあるけれど。

 

ゆるい生活をしたいと思って会社を辞めたけれど、もっと働きたいと思う自分がいることに正直驚いた。20代の頃のようにたくさんお金を稼ぎたいと思っているわけではないけれど、仕事で成果を出したい、誰かに認めてもらいたいと思うのは人間の本能なのかもしれない。

 

→ ブログで収益化を目指して3ヶ月目、アフィリエイトで1万円