教会で10分間のスピーチする機会がありました。
その内容をブログで紹介します。私はほぼ収入がないない時に会社員を辞めました。実家に戻って毎日記事を書くも、一向に収入が増えませんでした。その時に、ある教会に人々に出会い助けられました。
教会に来るようになってから順調に収入が増え始め、最終的にはキリスト教のある宗派に改宗するに至ります。この時に、大好きだったお酒とタバコを辞めました笑。その後、実家を離れ10ヶ月が経つが、いまも順調に収入が増え続けています。
今の自分の存在があるのは、この教会のおかげです。その感謝の気持ちをスピーチでお話しする機会がありました。有難いことにキリスト教にとって、クリスマスの重要な日でしたね。
ちょっと宗教臭い話ですが、興味がある人は読んでみてください。お話は10分だけなので、あまり細かいストーリーを話せなかったですけどね。
冒頭
私は人と話すことも得意ではないが、こうしてお話の機会を与えられた事に感謝しています。去年の今頃、クリスマスの時期というと、〇〇の教会でパプテスマを受けて1ヶ月が経った頃です。道路が凍るほど寒かったが、教会に対する警戒心が薄れ教会に足を運ぶのが純粋に楽しくなっていました。
この教会に出会い洗礼を受けた事は、私にとって大いなる喜びです。
あなたの人生でどれほど祝福を得られたか?
私がパプテスマを受けたのは、「パプテスマを受ければ、ビジネスでも必ず成功できる」と言われたからです。もちろん、この言葉を信じたから受けたのではなく、お酒を辞めなくて良いと言われ他に断る理由がなかったからです。
水を浴びるだけで人生が変わるなら誰も苦労しない、こんなバカバカしい事は辞めて、早く実家を離れたい。実家を離れたら、もう2度と教会に足を運ぶ事もないと思っていたのが本心です。
それから1年が経ち、たくさんの祝福を得られた事に驚いています。
会社員を辞めた2年半前、私の収入はほぼゼロでした。1年前、実家を離れて関東に戻ろうと決めた時、家賃を払えば何も残らないだけの収入でした。会社員時代の副業を含めると、私は4年以上ビジネスで結果を出す事が出来ませんでした。
今では会社員時代よりも、ずっと多くの収入を得られ、20代の頃に思い描いていた人生を歩めていることにも気が付きました。この1年を振り返った時、何か不思議な力に導かれていたように感じます。
この生活を手に入れられたのは、教会の教えのおかげです。だから、感謝の言葉しかありません。私はこの教会に出会い、自分の人生に欠けているものを教えられました。それと同時に、20代の頃、なぜ心から満たされない人生を歩んでいたのか、その答えも得られました。
あなたの人生で何を変えるように霊感されたか?
私が仕事で良い成果を出せた理由を話すとき、会社員を辞めてから教会に出会うまでに経験した事、それから20代の頃の生き方を語らずにはいられません。
20代の頃の私は、傲慢で競争心が強く、自尊心を満たす事ばかり考えていました。周囲の人間が不幸でも、自分だけが幸せなら良いと思っていました。仕事とお金を人生の中心に置き、家族や恋人を心から大切に思う事もなかったです。
会社員を辞めた時も、社会のラットレースから抜け出し、優越感に浸りたかっただけです。
他人よりも優秀だと思っていた私は、会社に費やしていた時間を副業に使えば、簡単に収入を得られると思っていました。しかしながら、期待に反して、仕事がうまく事は1度もなかったです。仕事とお金を人生の中心に置いていた私は、30歳過ぎて無職と変わらない状況に息苦しさを感じました。
毎日のように、安易に会社員を辞めた事を深く後悔しました。
教会に出会うまでの期間は、自分がちっぽけで無価値、能力や才能が微塵もない現実を嫌という程見せつけられました。現実から逃れたかっただけで、会社員を辞める覚悟ができていなかったのです。
この教会に出会ったのは、それから1年が経った時です。
人格的に欠落していた私は、宣教師の行動や言葉に心が動かされていました。彼らの言葉が私の心に響いたのは、自己中心的だった生き方に罪の意識を感じ、これまでとは違う別の人生を歩みたいと、無意識に思っていたからです。
そして、神様が変わる事を手助けしているようにも感じました。
ある宣教師が、自宅のポストにメッセージを入れてくれました。彼女の言葉と一緒に書かれていた聖句は、「試しの生涯にあって賢くなりなさい。あらゆる汚れを取り除きなさい。求めるものを自分の欲望のために無益なものにせず、むしろどんな誘惑にも負けないで、まことのいける神に仕えるという確固とした決意を持って求めない。」
これを読んだ時、私の薄っぺらい人生観を見透かされた気がしたのです。
会社員を辞めてまで、追い求めた先にあるものは、優越感に浸り自尊心や欲望を満たしたいだけ。そんな目標しかない事に後ろめたさを感じたのです。それから、自分の人生で本当に実現したい事は、何なのか深く考えるようになりました。
教会に日々足を伸ばす事で、自分の欲をどれだけ満たしても、心が満たされない事に気がつきました。それよりも他人のために祈ったり、誰かと喜びを分かち合う事で、心が満たされる事を知ります。この時にもほとんど収入はなかったが、教会に来る度に不思議と私の心は満たされていました。
それから1年が経ち、私はたくさんの祝福を得られました。私に足りていなかったものは、ビジネスに必要な知識や経験ではなく、他人のために奉仕し尽くす事で得られる喜びです。私が短期間で成長できたのは、教会の教えをそのままビジネスに活かしたからです。
もっと主の力を得るのにはどうすればいいのか?
少し傲慢な考えかもしれないが、この先もビジネスを成長させ続けるのは難しくないと思っています。なぜならば、自分の力だけではなく、神様の力に頼るようになったからです。自分自身が次に何をするべきか思い悩む必要はなく、謙遜な気持ちで社会の声を聞こうとする時、私は自分が何をするべきかその答えを得られます。
自分のためだけに働いていた時と違い、今は自分の仕事の意義や、この世に生かされている意味を考えるようになりました。パプテスマを受けた日を境に、新しい自分に生まれ変わったと思う事にしています。新しい仕事に挑戦しようと思う時、大きな壁を乗り越えようと思う時、あの日に1度死んだと思えば、私には挑戦しない理由が見つかりません。
私はいま、とても充実した日々を送っています。朝起きた瞬間、夜布団に着く時、なんでもない日常や沈黙にさえ、人生の素晴らしい瞬間を生きていると感じます。教会に出会う前の苦難や逆境は、私に人生の素晴らしさを教えてくれました。
20代で自己中心的な生き方をしていた時、家族とは煩わしいものでしかなかったです。
この教会に出会ってからは、家庭を持つという事は自分自身の内面や人格を育てるために必要だと学びました。そして、人格的に成長できる事で、ビジネスでも良い結果が出る事も学びました。この教会には、模範となる素晴らしい人たちがいる事に、いつも感謝しています。