セミリタイアしたサラリーマン投資家
2017年7月に資産500万円でセミリタイアして、海外と日本のデュアルライフを目指します。
現在ネット収入は5000円。働かなくても良い、新しい生活スタイルを実現したい。

【孤独をたのしむ力】セミリタイア生活は孤独との戦いである

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セミリタイア生活をしていると、今まで経験した事がないようなほどの孤独感が襲ってくる事に気がついた。


・将来への漠然とした不満なのか?

・収入がないことへの不安なのか?

・貯金が底をつきる事の恐怖感なのか?

・彼女と別れたときの事を心配しているのか?

・老後ひとりで生きる事への不安なのか?

・このまま一生独身でいるかもしれない不安なのか?

・両親が亡くなったら自分の居場所はどこにもないからなのか?

 

別にセミリタイア生活でなくても、社会に属さない無職やフリーター、浪人生活をしている方も同じような経験があるかもしれません。

 

自分が何に対して不安を持っているのか、しっかりと理解できている人は強いが、大半は皆漠然と深い悩みを抱え、自分が何に悩んでいるかさえ気がつかないまま時を過ごします。

 

このような悩みを持っている人は、1度自分自身を深く見つめ直す時間を持った方がいいかもしれません。

 

仕事を辞めた当初は社会のしがらみから解放されたと、ワクワクしながら3ヶ月間の海外生活を楽しみにしていましたが、渡航前の気持ちとは裏腹にフランスに着き1ヶ月経った頃から、そんな事ばかり考えるようになりました。

 

もともと自分は孤独に強い方だと思っていたので、これほど気分が落ち込むことがあるのかとびっくりしました。時差ボケのせいもありますが、夜中に目が覚めて眠れない日が続きました。

 

自分は、昔から友人もほとんど作らないし、彼女ができても自分の方からあっさりと去るようなタイプの人間でした。そういう感じで20代を過ごしていたので、仕事を辞めた事でまさか気分がこんなに落ち込むとは思ってもいませんでした。

 

サラリーマンを辞めてセミリタイア生活に突入する事が間違いだったという話ではありません。確かにサラリーマン時代は会社近くのシェアハウスに住み、会社にいれば同僚が、家に帰ればハウスメイトがいたから寂しいと思うことはありませんでした。

 

しかし、これはひとりになる時間が少なかったことで自分と向き合う時間がなかったというだけにしか過ぎません。仕事を辞めてから孤独を感じるようになったから、再び社会に出て働こうという訳ではありません。

人生の「質を上げる」孤独を楽しむ力

Amazon: 人生の「質」を上げる 孤独をたのしむ力

 

どこか気持ちが冴えないまま海外から帰国しましたが、帰国後にこの書籍を読んですっかり気分が晴れました。ちょうど悩んでいた自分にマッチしていたということもあり、過去に読んだ本の中で1番の良書だったかもしれません。

 

簡単に内要について紹介すると。

昨今は、LINEやフェイスブック、インスタグラムといったSNS、そしてそれらが使えるスマートフォンの普及によって、つねに誰かと繋がっている「常時接続」の時代になっています。

 

そして、多くの人は「孤独」や「ぼっち」という言葉に対してネガティブな印象を持っていると思います。孤独が惨めなのではなく、「孤独はみじめだ」と思い込んでいる自分の固定概念に原因があります。

 

孤独力とは、社会の中で人と関わりあいながらも、つねに自分の意志を主軸に置いて、自己責任で生きようとする姿勢のことです。この姿勢があれば、誰かと一緒でもたのしめるし、ひとりでもたのしめます。物理的に孤独になったとしても寂しさを感じることはありません。そうした感覚を強く持つためには、自分との対話、つまり内省という習慣を手に入れることです。

 

内省とは、自分の価値観を受け入れ、それをベースに経験を振り返って分析し、思考体系と行動体系を軌道修正し、自らを成長させていく、高度に知的な作業です。

 

自分の内部で、不安や悩みも自己消化できるし、出来事へのとらえ方を変え、幸せを感じられます。そんな精神の強さを獲得するには、必ず孤独の時間が必要なのです。いざとなったら、ひとりでも平気であると自信を持て、嫌われて孤独になっても気にせず、「自分にとって本当に大切なのは、自分の人生を生きること」と思える強さは、大人としての成熟度と言えるでしょう。

 

内観とは、自分の「内」なる心の動きや感情を、文字どおり「観察する」ことです。 たとえば失恋してつらい、失業してつらい、と思っても、その感情をごまかさないで、じっとその感情と対峙する。「ああ、自分はつらいんだ」「ああ、自分は苦しんでいるんだ」と、その感情を否定しないで味わうのです。これは勇気がいることです。その勇気がない人は自分の感情と向き合うことを避け、ヤケ酒やヤケ食い、あるいはどうでもいい異性との刹那的な関係に逃げようとします。

  

そもそも「悩み」というのは、人に何かしてもらって解決するというより、自分で考えながらひとつひとつ乗り越えていくものです。

 

自分が直面する事態や状況が仮に望ましくないものであっても、「自分にとってはこういう意味があったんだ」「つまりこういうことなんだ」などと、有意な経験としてとらえることができれば、あらゆる出来事が自分にとっての糧として納得することができます。

 

孤独に耐えられない人は自己肯定感が低く自立できていないわけで、そんな人同士のカップルは、お互いに依存しあう関係となります。

 

まさに苦しかったときに感じていた自分そのものでした。孤独から逃れようとすると余計孤独感に苦しむことになります。

 

フランスで孤独を感じた日々

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以前の記事でも書きましたが、フランスでは孤独を感じる時間が非常に多かったです。人生で味わった事がないほどの孤独を感じました。

 

→ 仕事を辞めてから3ヶ月が経った、セミリタイアブルーを感じるパリでの生活

→ 会社を辞めて海外を3ヶ月旅してみて思ったことは「もっと働きたい」

 

彼女は毎日仕事に行くのですが、その時間自分はずっと家に引きこもることになります。日本にいた時よりも彼女はとても忙しいそうに働いてました。日本ではシェアハウスに住んでいたので彼女が居なくても話し相手がいましたが、パリでは日中外に出ても誰も話し相手はいません。

 

気分転換に外に走りに行くのですが、人種も言葉も全く違う人ばかり、そして家族連れを見ると余計に寂しくなります。自分の彼女が日本人だったら、ここまで孤独を感じていなかったかもしれません。

 

言葉が通じないので外で買い物をする事でさえ一苦労です。賃貸の契約とか、携帯、週末の行き先、全て彼女がしてくれます。ただ、自分は家に居て晩御飯を用意するくらいです。

 

週末はどこかしら一緒に遊びに行くのですが、彼女の母親の友達だったり、彼女の友人と会います。そして、日本では会いたくても会えなかった家族に会うために毎週のように、クルマで6時間以上かけて家族に会いにいきます。日本にいた時はいつも慣れない日本語を話していましたが、彼女は別人のように楽しそうに流暢なフランス語を話します。そしてそんな姿がフランスに来てから孤独を感じている自分を余計孤独にさせていきます。

 

この時は何故だかわからないけど、自信を失っていく自分がいました。無職生活という不安定な状況が拍車をかけて居たのかもしれません。

  

自分でも理解できない良くわからない不安でいっぱいでしたが、この時は比較的良く眠れていました。ほとんどお酒も飲まなかったし、彼女と毎晩一緒に食事をして、夜寝るときも一緒だったからだと思います。

 

日本にいたときの生活

今だから冷静に分析する事が出来るけど、彼女とは日本にいた時の方がお互いちょうど良い距離感を保てていました。

 

日本に居た時も彼女が常に主導権を持って旅行のプランや行き先を立てていましたが、言葉の壁があるので自分がうまくサポートする関係でした。

 

シェアハウスに住んでいたこともあり、お互い空いた時間を利用してうまく付き合っていました。一緒に居すぎることもなく、離れすぎるということもありません。仕事をしていた平日もお昼は家に帰って一緒にランチをしたり、夜は早く帰った方がご飯を作る。週末は自分が午前中カフェに行きパソコン作業をし、彼女は日本語の勉強をする、お互い時間ができた午後になると一緒に都内を数時間掛けてハイキングに行きます。

 

彼女に自分の友人を紹介することも何度かありましたが、日本語を話せるので自分がフランスに居た時のように困ることはありません。会話も彼女が中心の話題になります。

 

彼女は長い間フランスを離れて暮らしていたので、その寂しさも自分が埋められていたのかもしれません。

 

こんな感じで丁度良いバランス関係が成り立っていましたが、自分がフランスに行ったことでバランスが悪くなりました。生活のことからすべて彼女に頼りっぱなし、彼女の友人や家族に会っても言葉の壁を感じます。

 

日本に居たときのように彼女をサポートしたいと思い一緒に海外に来たつもりですが、自分のサポートは一切必要なく、逆に忙しい彼女に世話をかけていた自分が申し訳ない気持ちになりました。そして、無職という立場が余計自分を苦しくさせていたのかもしれません。

 

最初の渡航国がフランスでしたが、そうでなければ違った距離感を作れていたかもしれません。

 

セブ島に行ってから

彼女と離れてセブ島に行ってからはひとりになったことで余計孤独になりました。フランスではほとんどお酒を飲むことはありませんでしたが、ビールが安いということもありお酒に逃げる自分がいました。

 

仲間内で騒いでいるうちは孤独を忘れられますが、ひとりになり眠れない日が続くと孤独が襲って来ます。留学先のドミトリーに宿泊したのですが、その環境が悪かったことも一因です。

 

そんなこんなでセブ島の1ヶ月はとても息苦しい日々を送りました。当初期待していたような南国の解放感に癒されるということは全くありませんでした。

 

現在も彼女とは連絡を取り合っていますが、以前よりもどこか距離を感じています。

 

セブ島に行ったのは、セミリタイア後に安く海外で住める場所を探していたからです。

→ 【セブ島 IT×英語Kredo】元エンジニアが1ヶ月間ITと英語を学んでみた感想

 

孤独を楽しむ力

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孤独に耐えられない人は自己肯定感が低く自立できていないわけで、そんな人同士のカップルは、お互いに依存しあう関係となります。

 

そんな時にこの書籍を読み、彼女に過度に依存している自分に気がつきました。フランスに居た時は孤独を強く感じるようになり、セブ島では孤独から逃げるような遊び方をしていました。

 

著書が言うように孤独に耐えられない自分に原因があると感じました。そして、冷静に突き詰めていくと自分に自信を持てないことが最大の原因です。

 

サラリーマンに戻るべきか? 

シンプルに考えれば、私たちの人生は、朝起きて会社に行って仕事をして帰って寝る、そしてまた朝起きて夜寝るの繰り返し。それを社会に出てから40年も続けているだけです。しかし、それが幸せな人生になるかどうかの差を分かつのは、その間に本当にやりたいことをやっているかどうかです。

 

一時期、あまりにも気持ちが不安定すぎて、自分は仕事を辞めたことを後悔しているのかもしれない。本当は以前のようにサラリーマンを続け、仲間がいるシェアハウスに住むことが自分に合っているのではないかと考える時もありましたが、冷静にこの3ヶ月間を振り返ってみた結果、そうではないと思っています。

 

仮にサラリーマンに戻ったとしても、仮にシェアハウスに戻ったとしても、孤独からは逃れることはできません。

 

サラリーマン時代は孤独じゃなかったのではなくて、単に仕事が忙しく自分自身と向き合う時間が少ないため孤独だと感じる機会が少なかったというだけにしか過ぎません。

 

会社に行けば常に同僚がいますが、同じ組織に属しているからこその仲間で合って、どちらかが会社を去る、もしくはどちらも去ってしまえばお互い会う理由は薄れていきます。辞めた当初はそれなりに交流があるかもしれませんが、元々は会社を通して知り合った関係です、共通の話題がなくなればいずれ会わなくなります。もちろん、すべての人が当てはまる訳ではないですが、基本的に会社の同僚とはそういうものです。

 

会社員時代に付き合った同僚たちが生涯一緒に居続けられる仲間であれば、定年後にリタイア者が孤独を感じることはないのではないでしょうか。実際には仕事を辞めたら孤独を感じ、人生の意義を失う人が大半です。

 

そのときにパートナーが居なければ孤独からは逃れられません。

  

会社にいると孤独を感じないのは、それだけ忙しく仕事に終われ、ゆっくりと自分と向き合う時間がないというだけにしか過ぎません。

 

シェアハウスに居た時は長い間ひとり暮らしをしていたこともあり、寂しいと思う時間は少なかったです。リビングに行けば誰かしら話し相手がいるし、週末は気の合う仲間とお酒を飲みます。赤の他人でもひとつ屋根の下に複数人寝るということは、ある意味それだけで孤独を忘れさせてくれます。

 

しかし、屋根を共にした仲間でもいずれは別れることになります。シェアハウス生活にいるとたくさんの外国人や日本人と知り合いますが、それでも生涯連絡を取り合うのは一部の人間関係だけです。また、人の出入りが激しいので半年も経てば知って居る人は半分も残りません。シェアハウスにいる内は孤独を忘れられますが、結局出てしまえば孤独を感じることになります。

 

そう考えると、以前のような生活を取り戻したとしても、結局孤独になることは変わらないと思うようになりました。孤独から逃げるのではなく、どうやって孤独と向き合うことが大切なのかを考えるようになりました。

 

仕事を辞めたことで精神的に不安定だったのは間違いないけれど、その答えは以前のサラリーマン生活にはないと思っています。

 

この3ヶ月間を振り返って思ったことは、もっと仕事(ネットビジネス)に向き合い熱中できる時間が欲しいということに気がつきました。 

  

会社員時代は常に納期や厳しいスケジュールがあり、自由度が少ない会社員という縛られた働き方が嫌いでした。その反動で、これからの時代はゆるくのんびり暮らしたいと思い、セミリタイア生活に憧れるようになります。しかし、本来自分は競争心が強く、負けず嫌いで、20代の頃は仕事に対する熱意もそれなりにありました。

 

サラリーマンを辞めたからと言って、突然のんびりと暮らしたいという訳ではないということです。

 

思えば、海外生活でイライラしていたことの大半は、集中して作業をしたいけれど、その環境が手に入らなかったことです。それはフランスのパリでも、フィリピンのセブ島でも一緒です。

 

そして、稼げていない自分に対して不安が膨らむようになりました。その不安感が孤独になり、彼女に依存していくようになったのかもしれません。

 

十分に稼ぐことができていたら、フランスの周辺国にも頻繁に遊びに行き、そして彼女と時間を一緒に過ごすために週末パリに帰るという生活をしたと思います。そして、これくらいの距離感が自分たちにはちょうど良かったのかなと思います。

 

しかし、作業時間が欲しい、どこか出かけるとお金がもったいないと思っていたので、終始家に引きこもる生活を続けていました。そして、その結果必要以上に彼女に固執する自分がいました。

他人には他人の幸せのかたちがあり、自分には自分の幸せのかたちがあるという違いを認めているということです。  他人が言う成功を追いかけさせられ、社会が求める生き方を強いられ、つねに他人と比較し一喜一憂するのは疲れるだけ。  だから、他人を意識した生き方ではなく、どういう自分になることが幸福なのか、つまり自分自身を評価する指標を持つことが大切です。

 

彼女とはこの先付き合っていくかわかりませんが、もしも別れたとしても困らないように生活していくつもりです。今の彼女が自分を必要としていないならそれは悲しいことですが、それはそれで仕方がないことです。もしも自分を必要としてくれるなら、自分は変わらず一緒に居るつもりです。

 

彼女には自分の人生を大きく変えるほど、たくさんのことを与えて貰いました。彼女に会わなければ一生会社員だったかもしれないし、ヨーロッパに住みたいとどこか憧れを持ちながら生活していたかもしれません。

 

これだけ悩んでいた自分にマッチする本を見つけたのは驚きです。久しぶりに読書の力はすごいなと思いました。

Amazon: 人生の「質」を上げる 孤独をたのしむ力

 

→ 仕事を辞めてから5ヶ月、サラリーマンに戻る道はあるのか?