セミリタイアしたサラリーマン投資家
2017年7月に資産500万円でセミリタイアして、海外と日本のデュアルライフを目指します。
現在ネット収入は5000円。働かなくても良い、新しい生活スタイルを実現したい。

仕事を辞めてから5ヶ月、サラリーマンに戻る道はあるのか?

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パリのセーヌ川
  

働かない生活を送るようになってから5ヶ月が経ちました。

 

サラリーマンで働いていた時と、サラリーマンを辞めてからの大きな違いは、自分と向き合う時間があるかないかだと思います。

 

仕事を辞めたことで精神的に不安定になり辛いと思うことはたくさんあります。けれど、冷静にサラリーマン時代のこと、仕事を辞めてからの5ヶ月間を振り返ってみた結果、サラリーマンに戻るという選択肢は今のところありません。

→  会社を辞めて海外を3ヶ月旅してみて思ったことは「もっと働きたい」

サラリーマンを辞めてから

サラリーマンは自分自身と向き合う時間すら持てないほど毎日忙しく働きます。

 

一般的な会社員の生活は、朝起きたら会社に行く準備を始める、電車に乗り込み会社に向かう、メールやスケジュールをチェックする、会議や自分の作業に追われる、ようやく会社を出るのが夜の8時、家に着き食事を取り、あとは寝る時間までテレビやネットサーフィン、ゲームをして過ごす。週末は気分転換やストレス発散のために職場以外の友人と出掛ける、という生活を送っていると思います。

 

仕事を辞めてからだと、朝起きたときから自分との対話が始まります。

 

仕事を辞めた当初は、これからの海外生活を思い描き楽しみにしていましたが、そんな感情は数ヶ月も経つとなくなります。

 

気がついたら精神的に不安定になっている自分がいました。これは、サラリーマンを辞めたことを後悔している自分がいるのかなと最初は思っていました。

 

しかし、自分の過去を見つめ直し深いところで会話をすると、やはりサラリーマンに戻る道はないなという結論に辿り着きました。今はどうやってネットビジネスで生計を立てて行くかということを真剣に考えています。

 

なぜサラリーマンはダメなのか?

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サラリーマン、フリーランス、アルバイト、自営業と働き方は様々ありますが、どれが正解かという訳ではありません、個人のライフスタイルにあった働き方があります。 

  

サラリーマンにもメリットはたくさんありますが、それでも自分が思うのは時間を切り売りする仕事は将来的に見て未来がないということです。理想をいうと、サラリーマンの仕事をサイドビジネスのような感覚で働ければ一番良いですが、これは誰にでもできるわけではありません。拘束時間が長く忙しい職場で働けば自分のために使える時間はなくなってしまいます。

 

忙しい仕事に追われながら、副業でお金を稼ぐというのは並大抵のことではありません。

 

また、これから先の日本の将来のことを考えると、超高齢化社会で社会保障などの税負担は増し、一方で日本経済は成長せず活発に消費を促す生産年齢(15歳以上65歳未満)の人口は顕著に減っていきます。

 

総人口のうち、生産年齢人口に限ると1996年から減少に転じていました。90年代前半には8700万人だった生産年齢人口は、2016年には7600万人と、約20年で1割強減っています。

今後はさらに減少テンポが速まります。社会保障・人口問題研究所の推計では、出生率・死亡率などに大きな変化がなければ、20年後(2036年)の生産年齢人口は6200万人、2050年ごろには5000万人を割り込むと見込まれています。 

総人口に占める割合は現在の60%から56%、51.5%に低下します。今年新卒で入社した世代が役員になるころには、人口の半分しか働き手がいない社会になるのです。

生産年齢人口とは?定義や減少の推移(日本VS海外)、労働に及ぼす影響を解説 | BizHint HR(人事の悩みにヒントを届けるニュースサイト)

 

比較的収入が安定しているサラリーマン層は税負担を最も受けやすい層でもあります。

 

現時点で本業以外で収入源がない人はもう少し焦った方がいいのではないかと思います。 ネットの世界に生きていると、株式投資なり、ネットビジネスなり成果を出している人はたくさんいますが、身近な現実世界を見渡した時に自分の同僚は100%の力を本業だけに回す人がたくさんいました。

 

たとえ少額でも自分でお金を稼げる力というのは、これから生きていく上で必須のスキルになります。

 

→ サラリーマンが仕事を辞めて自由に生きていくために必要な5つの方法

 

サラリーマンに戻る選択肢は? 

精神的に弱っているときに、やはりサラリーマンを辞めたことは失敗だったのか?と思ったことは何度かあります。海外生活を3ヶ月もしていると孤独に感じる時間は増えます。

 

人は過去のことを美化してしまう生き物です。散々辛いことがあって別れた相手でも、ひとりで過ごす時間が増え時が経てば良い思い出のように語られます。しかし、再び元の関係に戻ってもうまくいかない事の方が多いのではないでしょうか。孤独が精神的に人を弱くさせてしまうからです。

 

副業でお金が全く稼げない状態で仕事を辞めたので、衝動的に辞めたと思われることは多いですが、自分なりに深く考えて出した答えです。このまま、サラリーマンとして生きても未来がないと思ったからです。

 

年齢を重ねるごとに保守的になる自分にも嫌気がさしていたのもあります。このまま歳を取れば、もう会社を辞められる機会は一生訪れないだろうなと思いました。

 

このときは彼女の存在が大きかったかもしれませんが。

→ 今年の夏でサラリーマンを辞めます。資産は500万円、副収入は1万円以下、フランス人の彼女に養ってもらうことにした

 

なぜ辞めたのか?

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1番の理由は自分の人生がすべて仕事に左右されていたからです。また、先輩社員や40代、50代の社員を見てエンジニアは生涯続けられる仕事ではないと思っていたからです。

 

IT業界の仕事といってもピンからキリまであるので一概には言えないですが、基本的にエンジニアの仕事はお客様の納期が第一優先です。納期に間に合わないようであれば、サービス残業するし、週末に休日出勤してでもスケジュールを死守する必要があります。もちろん、そうならないように調整もするし、遅れそうになったらリスクヘッジもします。それでも、最終的に割りを食わされるのは、やはり立場が弱い労働者です。

 

スケジュールがない仕事の方が少ないかもしれませんが、常にスケジュールと向き合うというのは辛いことです。

 

若手の頃は自分の作業が遅れたら自分の作業の遅れを取り戻すことだけに集中しますが、ある程度中堅になると自分だけではなく若手のアウトプットにも責任を持つようになります。

 

しかも、現代のシステム開発の現場は複雑で若手が同じ職場にいるとは限りません。一方は日本にいるけれど、もう一方はインドにいて、もう一方はまた別の国にいます。顔も合わせたことがない、画面や音声上でしか会話したことがない外国人と一緒に仕事をすることになります。

 

朝出社したら期待していたことができていない、伝えたいことがあるけれど時差が違うので会社にいない、連絡しても返ってこないと思ったら席を外している、そんなことは日常茶飯事です。

 

また、自分の作業に集中する時間が持てればいいですが、ポジションが上がると会議に参加する時間も増えます。お客さんが参加する会議は長いものだと2時間を超えます、それ以外でも社内の進捗を確認する会議もあります。実作業がない大手社員はいつも会議を開きたがります、そして会議に参加するメンバーはいつも無駄に多いです。

 

1日の作業時間は8時間しかないのに、会議に参加、外国人スタッフのアウトプットの確認、仕様書の確認、自分の作業のアウトプット、真面目に働けば働くほど家に帰れないのがこの世界の特徴です。適度に踏ん切りを付いて終わらなくても帰る勇気が必要があります。

 

自分は中堅エンジニアというポジションで開発をまとめる側にいましたが、もうひとつ上のマネージャーのポジションになるとさらに忙しさは増します。なんだかんだ責任を負わない自分のポジションはまだ楽な方でした。

 

マネージャー職になると、お客さんと常時スケジュールのやり取りをし、プロジェクトに全責任を持ち、プロジェクトを複数抱え、新規の案件獲得のために資料作り、事業部の売り上げにも責任を持ち、新しく入社した若手スタッフや外国人にも仕事を振らなければいけません。

 

これだけ仕事をしていると本当に時間はないので、毎日ではないが日付が変わる頃まで仕事をします。都内にいると最悪終電で帰れますが、地方だとクルマ通勤なので終電以降も仕事をする人がいます。週末出勤することも多いし、休みの日も仕事をチェックしているのかメールが飛んでいる時があります。

 

翌日や週末明けに深夜に飛んでいるメールを見ると心底うんざりします。

 

マネージャークラスの社員は自分より年齢が10歳程上で奥さんや子供がいるが、子供が寝る時間より先に家に帰ることはありません。飲み会の時に笑い話や武勇伝のように語りますが聞いている方としては、苦笑いしかありません。

 

若手社員はそこまで忙しくないはずですが、上の人が遅くまで働くので自然と帰る時間が遅くなります。残業代がつかないが慢性的に残業している職場だったので、周りを見計らいつつ帰るのが早い人で8時頃から徐々に席を立ち始めます。

 

自分の場合、生涯続ける仕事ではないと思っていたので忙しくないときは定時に帰宅していました。それでも、プロジェクトが稼働しているとどうしても遅くなる日はあります。その度にストレスを溜めていました。

 

転職はしないのか?

何度か転職しようと思った時もありますが、結局しないままこの会社で働き続けました。

 

なぜかというと、客観的に自分が務めている企業は中小企業の中では上位だと思っていました。年間賞与もトータルで140万円程度ありました。20代で3社渡り歩いたこともあり、これよりも条件が悪い会社は腐る程あります。基本的に人月単位で人を動かしているIT業界は大半がブラックです。

 

自分が務めていた企業は地方にありますが、顧客は世界中に製品を販売し儲けている大手メーカーが多く一次請けの受託開発です。IT業界のSIerは下請け構造で成り立っているので何次請けかによって、その企業のランクがわかります。

 

東京で100名程度の中小企業だと、大半が三次、四次請けです。東京の高い家賃や人件費では利益が出ないので受託開発はやりたくてもできません。

 

規模の小さい中小企業にも関わらず受託開発、さらにメーカーから一次請け、開発拠点が海外に複数あり、設計から製造、評価まで一貫して請け負っている企業は客観的に見て決して多くはありません。

 

SIer業界の中ではそれなり良いポジンションにいたので、同じような業界に行くのであれば転職する理由はありませんでした。また、年収は毎年40万円ほど順調に上がります。

 

少し違う業界に行くとすれば、Web系とか社内エンジニアというポジションがあります。Web系は競争が激しい分野で、独自サービスが世に出るほど儲けていれば良いですが、そうでなければ大半が単価80万円を超えることはありません。また、サービスや製品に人気があるうちはいいですが、移り変わりが早い世界です、需要がなくなれば一気に落ち目になります。何でも適度にこなすSIerとは逆のベクトルで、狭い領域で深い知識が求められる世界です。

 

サラリーマンエンジニアとして生きるのであれば、現状維持が一番無難でした。

 

サラリーマンを辞める最後の年の年収は500万円を少し超えたあたりです。中小企業に勤め自分の年齢でこれくらい稼げたら十分だと思っていました。むしろ、これ以上プレッシャーを与えられたくないので、給料を上げなくて良いと思っていたくらいです。

 

給料を上げる努力をするよりも、ひとりでも稼げる副業に力を入れた方が健康的な生活が送れると思っていました。

 

→  かつての米国のIT企業と違って、日本のIT企業に多重派遣や多重下請け構造の問題がなくならないと思う理由

 

→ 業務系SEはフリーランスエンジニアに移行する準備をした方がいいと思う理由

 

仕事に情熱が持てない

いつからかは明確にわからないが、この仕事に向ける情熱がなくなっている自分がいました。昔は新しい技術を習得することも、ひとつずつ仕事を覚えることも、英語力を付けることも楽しかったです。

 

おそらく、やる気がなくなってきたのは、海外で2年間働きその後日本に帰国してからかもしれません。この辺りから仕事に対する熱意が冷めていったようにも感じます。その反面、給料は右肩上がりに増えていったのですが。

 

昔からそこまで技術に興味があったわけではなく、会社に依存しなくても生きていける力を付けることにモチベーションがあったのだと思います。だからこそ、どこに行っても食べていけるだろうと思っていた、ITと英語を必死に勉強していたのかもしれません。

 

今となっては、仕事のためだけなら英語はそれほど重要ではなかったと思っています。

→ 【留学で失敗しないために】なぜ留学生の8割は学んだ英語を使って仕事ができないのか?

 

英語はそれなりに時間を使って取り組んできました。

→ なぜ社会人は英語が習得できずに挫折してしまうのか?

 

サラリーマンエンジニアの延長線上には自分がやりたい事の答えがないことに、気がついたのだと思います。自分が求めていた道とは違ったと思いながらも、順調に増えて行く年収や貯金を見て身動きが取れなくなっている自分がいました。 

 

熱意を失ってからの1年間

特に会社勤めをしていた最後の1年間はかなり辛かったです。副業を始めるようになり、仕事に対するモチベーションが完全に失せました。

 

中小企業のIT企業のエンジニアの場合、開発案件に応じた専門部隊があるわけではないので、お客様の要望に合わせて何でもやります。Webシステムやデスクトップアプリを作るし、iPhoneやアンドロイドのアプリを作ることもあるし、ハードに搭載する組み込み系もやります。

 

プログラミング以外でも、設計もあれば、資料作成、検証するためのモックアプリを作ったり、開発工程があり、評価も一貫して行います。

 

広く浅く何でもできる人材が求められます。言い方を変えれば本物の専門職ではなくても周っていく世界です。

 

ひとつのプロジェクトが終われば、休む暇もなく次のプロジェクトに入ります。基本的に自分で仕事を受注できるマネージャー以外は、プロジェクトを選択できる権利はありません。

 

3年間Web系の規模が大きい案件が終わった後に、次の業務がスマホアプリの開発の時には心底嫌になりました。

 

規模が大きい案件の場合外国人スタッフを大量に使うので、日本人スタッフは調整役に回ります。自分でコードを実装するケースは多くありません。しかし、スマホアプリは規模が小さいので自分が実装者としては参加しなければなりません。このとき、自分は30歳でしたが、他の開発メンバーは40歳前後でどっと疲れました。SIer業界は長い間人気がない職種なので平均年齢が上がっています。言い方は悪いですが今更、下っ端の仕事なんてやりたくはありません。

 

4年前にスマホを作るプロジェクトにいたけれど、この世界は4年も経てば技術は大きく変わっています。昔習得した技術を思い出すのも大変ですが、さらに新しい知識をアップデートしなくてはなりません。つまり、不確定要素が大量にあるという事です。

 

20代でモチベーションが高いときは、難しい技術や案件に挑戦したいと思っていましたが、そうでないと苦痛しかありません。自分ができる分野の仕事だけを請けてそれだけ飯を食いたいのが本音です。

 

こういう考えがある時点でエンジニアとして生計を立てて行くことは難しいです。

 

中小企業は大手企業とは違い、実作業ができなくなれば社内に居場所はありません。たまに、40〜50代で何をしているのかわからないおじさん社員がいますが、やはり定年前には居ずらそうに消えて生きます。

 

最近の生活は?

こういう経緯があったからこそエンジニアの仕事を辞めたのですが、精神的に追い込まれた時にサラリーマン時代は良かったと思う自分がいることに驚きます。

 

冷静に辞めた理由を振り返って見ると、あの頃が良かったとは到底思えません。

 

可能性として、給料が少なくても自由度が高い仕事であれば戻る可能性はあると思いますが現時点では考えてはいません。それよりも、今はどうやって最低限の生活費を稼げるかということに頭がいっぱいです。

 

今は収入がほとんどない状態ですが、順調に作業できているときは精神が安定しています。結局、海外を3ヶ月旅して一番ストレスを感じたことは、集中して作業できる環境が手に入らなかったことです。

 

朝起きて仕事を始める、集中力が切れたらジムに行って身体を動かす、夜はビジネスに関する書籍を読んでインプットする時間を確保する。集中力が切れないときは夜まで作業を続ける、この環境が今の自分が最も欲しかったものだとわかりました。

 

収入がないにも関わらず仕事を辞めるという選択肢を取る人は非常に少ないが、自分の資産のために労働するということは特別な感情があります。特に自分のように、会社の仕事をひたすらこなしてきたような人間からすると。

 

正直なところ、最低限食べていけるだけの収入があれば充分で、仕事で猛烈に働くよりも自分らしく生きたいと思っている人の方が多いのではないでしょうか。結婚、老後、友人関係、色々な事を考えたらそういうわけにはいかないのでしょうが。

 

ただ、実際のところ食べていけるだけの収入をインターネットだけで稼ぐのは思ったよりも難しくないという事です。それくらい個人でも稼ぎやすい時代に移行しているし、今後もその流れは強くなります。もちろん、Web業界もバブルに近い状態ですが、しっかりと勉強して知識を身に付ければ、生き残っていくのは難しくないと思います。

 

理想を言えば本業以外でも複数収入があり、自分の時間も確保できることが一番です。しかし、そういう人は全体でどれくらいいるでしょうか?

 

少なくとも今の自分にはサラリーマンに戻ることが最適解ではありません。

→ サラリーマンが仕事を辞めて自由に生きていくために必要な5つの方法

 

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